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 みずほさんは小学校4年生の頃に、病気がちな母と離れて児童養護施設で暮らすようになった。好奇心旺盛で、「とにかく外の世界に出たいという気持ちが強い子どもだった」という彼女の目は、常に外を向いていたという。

©深野未季/文藝春秋

「施設の同年代の子たちのことは、あまり好きじゃなかったです。施設の子たちって、自分たち同士で群れたりするところがあって、そんなことする暇があったらもっと新しい人たちと知り合いたいと思ってた。

 かと言って、家に戻りたい、と思っていたわけでもないんです。家に帰りたがる子って多いんですよ。施設の生活って、どうしても規律が厳しくて、食事の時間も、起床の時間も決まっていて、ストレスがたまるから。家は自由だし、お盆休みや年末年始に子どもが帰ってくると、ここぞとばかり甘やかす親も多い。

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 でも、私は家よりも、施設のほうが居場所だったという感覚があります。施設出身者では珍しいのかもしれないですけど」

週6でアルバイト、週5で学校に通う生活

 卒業後は「手に職を」と考え、美容専門学校に進学。専門学校時代の2年間は奨学金だけでは学費や生活費をカバーできず、週6でバイトしながら週5で学校に通った。

「無理してたので、当時はずっと身体の具合が悪かったですね」

©深野未季/文藝春秋

 それでも頑張れたのは、負けず嫌いな性格からだという。

「卒業してみんなに『やったぜ』って言いたかった。それに、学校を辞めたら、借金が残るだけじゃないですか」

「恨みを糧に頑張ればよかったんですよね」

 NPO団体に紹介された住宅に住んでいたが、善意を持って支援してくれていたはずの家主との関係がこじれてしまい、急な転居を余儀なくされたこともある。生い立ちを聞いていると、同年代よりもやはり苦労は多いように思う。しかし、児童養護施設出身ということで、嫌な目にあったことはあるかと聞くと、

「全くないです。私、『養護施設にいた』って自分から言っちゃいます。でも、誰も気にしない。『あっそうなんだ』で終わるんですよ。それは、私がちゃんとできてるからだと思うんです。そこに生い立ちは関係ない」

とみずほさんはきっぱり答えるのだった。

 先の事件についてはこう話す。

「つらい気持ちはわかります。悔しい思いや、誰にも頼れない孤独感もあったと思います。でもそれを人に向けるのは間違っている。別に恨んでもいいんですよ、施設を。恨みを糧に頑張ればよかったんですよね」

「どこにぶつければいいかわからない思いを、唯一繋がっているところにぶつけたというのは、素直に出たなあと思いましたね。当事者としては、苦しみがわかる部分もあるというか」

 事件についてこう振り返るのは、同じく児童養護施設出身の山本昌子さん(26)だ。

山本昌子さん ©深野未季/文藝春秋

 笑顔でハキハキと話す姿が印象的な山本さんは、生後4ヶ月で乳児院に入った。2歳から児童養護施設に移り、18歳で退所するまでそこで過ごした。