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 一般的に、職員が激務で“燃え尽きる”ことが多く、人員の入れ替わりが激しいと言われる児童養護施設だが、山本さんがいた施設では職員や児童の入れ替わりが少なくなるよう配慮されていたという。家族のように親しくし、今でも「育ての親」や「姉」と呼んで慕う職員や仲間がいた。

©深野未季/文藝春秋

「生きていく意味がわからなくなった時期があった」

 そんな施設のことは大好きだったが、18歳で退所。施設の職員や、仲間たちと一切の連絡を絶った時期があった。

「いつか卒業するということは頭ではわかってたんですけど、いざ卒業すると『帰る場所がなくなった』と感じました。私が卒業して空いた場所には、新しい子が入所してくるわけじゃないですか。

 今まで施設で過ごして、積み上げてきた関係が全部なくなったという気持ちや、施設に裏切られたという気持ち、孤独感が強かった。『私は家族だと思ってたのに、施設側からしたら仕事だったのかな』って。これまで生きてきた意味、これから生きていく意味がわからなくなった時期が18歳から22歳頃でした」

 孤独感を埋めるように、山本さんは進学するという夢に向けてがむしゃらに働いた。

「当時はまだ進学を支援する制度があまりなくて、『学校に行く』って言ったら、むしろ反対されるくらいだったんですよ。奨学金を借りたって、借金になってしまうでしょって。

『でも、行くから』って言って、朝の9時から夜の12時まで居酒屋さんでフルでアルバイトしてました。休みは月3日程度。1年間で必要なお金を貯めて、専門学校に進学しました」

暗い時期は、お世話になった職員さんたちに会って乗り越えた

 暗い時期をどう乗り越えたのか、山本さんに聞くと、こう答えてくれた。

「21の頃、お世話になった職員さんたちに、ひとりひとり会いに行ったんですよ。連絡していない間すごく心配してくれていたりして、愛情や、目に見えないつながりを実感できた。

 専門学校で素敵な友人にめぐまれたのも大きいです。20歳になったときに、『このままでは振り袖を着れないから』と、振り袖の後撮りをプレゼントしてくれた先輩がいたんです」

 その後、山本さんはその先輩のあだ名を冠する「ACHAプロジェクト」を立ち上げ、児童養護施設出身者に成人式の前撮りの機会を提供している。「『なんで私が』と葛藤しがちな時期だからこそ、みんなに大事にされてるんだと実感してもらう機会を作ってあげたい」と考えている。

©深野未季/文藝春秋

 ところで、山本さんが「まだ進学を支援する制度があまりない」と話したのには理由がある。児童養護施設者の退所後支援は、ここ数年で変化しているのだ。後編では退所後支援における変化や、これからのあり方について、NPO関係者や児童養護施設関係者に話を聞いている。(後編に続く)