〈「日本は進んで出来る協力を断らないで欲しい」と訴えつつ、韓国側にも「日本に不可能な要求をすべきではない」とくぎを刺す。「すべては被害者と正義、そして韓日の健全な未来のため。闘う相手は日本ではない。時間だ」〉
2005年8月15日の朝日新聞の(ひと)欄で、その勇ましい発言を紹介されたのは韓国人弁護士のチェ・ポンテ氏(崔鳳泰)だった。
〈「大統領より被害者の方が上だと思い、つい政府も敵に回してしまう」と笑う。〉
記事では正義を貫く好漢としてチェ・ポンテ氏を特集していた。この記事を執筆しているのは、朝日新聞の慰安婦報道などで活躍した市川速水記者(現・編集委員)だ。
「在野で被害者のために働く」と公言していたが……
それから十数年、正義を貫く好漢は日本企業に刃を向け、日韓関係を史上最高レベルまで悪化させた仕掛け人の一人としてその名を知られるようになる――。
チェ・ポンテ氏は、韓国・大邱(テグ)出身でソウル大学校法科大学を卒業している。東京大学に留学経験がある日本通でもある。
彼が一躍有名になったのは、盧武鉉政権下で発足した強制動員被害真相糾明委員会の事務局長に任命されてからだった。
「日帝強占下強制動員被害真相糾明等に関する特別法に基づき設置された真相糾命委員会では、被害実態の調査、被害者、遺族の認定などに取組んだ。盧武鉉、小泉会談で決まった日本に残る民間徴用犠牲者の遺骨返還問題の際にはチェ・ポンテ氏も事務局長として日本にたびたび来日し、遺骨収集などの交渉で手腕を発揮していました」(ソウル特派員)
政府委員の立場として当時から強制動員や徴用工問題に取組んでいた。
「当時のチェ・ポンテは被害者を助けていたし、多くの会議を開くなど尽力をしていた。『私は公務員よりも、在野で被害者のために働く』と公言していました」(韓国紙記者)
「いろんな裁判を起こすために花火をあげる節がある」
被害者のために奮闘するその姿は、薬害エイズ問題で名を上げた若かりし頃の菅直人氏(元厚生労働大臣・元総理大臣)を彷彿させるものがある。実際に朝日新聞も、チェ・ポンテ氏の若さと情熱に溢れる姿を紙面で絶賛していた。
しかし彼は、弁護士としては毀誉褒貶のあるタイプだったようだ。
「クレバーなタイプなので説得力のある話をするのですが、一方で山っ気も強い。『裁判は勝たないとだめですよ』が口癖で、いろんな裁判を起こすために花火をあげる節がある。在韓被爆者のため、原爆を落とした米国相手に補償を求めるつもりだ、などと話していたこともあります」(チェ・ポンテ氏を知る人物)