ヨシオカは亡くなっていた。友達が大家さんと警察立ち会いのもと、部屋に入ったそうだ。発見者になったヨシオカの友達が直接、電話をくれた。声が震えていた。僕はケータイを持ったまま、部屋に立ち尽くした。
受け入れがたい。そんなバカな。46歳だ。まだ令和になって1か月生きてない。そんなことは絶対あってはいけないと思った。感情が噴きあがってくる。ヨシオカ、うそだろ。待ってくれよ。もっとHBCの話をしようよ。お前ふざけんな、田中賢介の引退見ないつもりか。優勝して賢介胴上げするんだよ。それ見ないでファイターズファンって言えるかよ。
何か腕一本ちぎられるような思いだった。仲間を持ってかれるのは応えた。ひとり暮らしの突然死はこういう感じになるのか。ツイッターやFBがか細い生命反応のようになるのだ。それが止まる。それが止まることが徴(しる)しだ。今、ひとの死はそんな風に伝わるのだ。何て悲しいことだろう。
ヨシオカ、あの試合最高だったな
去年、北海道胆振東部地震の後、札幌ドーム公式戦が再開となった最初の試合、僕もヨシオカも居ても立ってもいられなくなって、北海道へ飛んだ。「全道ブラックアウト」は衝撃だった。知り合いが大勢いるとはいえ、実際には子どもの頃、釧路に住んでいただけの僕が北海道のために眠れなくなったのだ。ヨシオカはもっとだろう。旭川のご家族を思い続けただろう。地震は「北海道=ホーム」の感覚を強烈にもたらした。
何が何でもその試合は見なくちゃいけないと思った。それはね、ヨシオカと示し合わせたわけじゃないんだ。それぞれが思って、別々の便で向かったのだ。ヨシオカは旭川へ帰るついでもあったはず。レフトスタンドで待ち合わせた。いつだって応援してるんだけど、今日は特別だ。めっちゃくちゃ応援するんだ。今、応援しないで北海道どうすんのよ。なぁ、ヨシオカ、今日はファイターズ絶対勝つんだよ。
その試合はオリックス戦で、鶴岡慎也が逆転タイムリーを打つんだけど、レフトスタンドの席が信じられないことに「メガホンニキ」こと恵庭市の北川さん(キタさん)の隣りだったんだ。鶴ちゃんのタイムリーのときは、ヨシオカともキタさんともハイタッチした。うへへーい。やったやった。おーいおーい北海道、バンザイバンザイ!
ヨシオカ、あの試合最高だったな。みんなが祈るような、熱い気持ちを持ち寄っててさ、野球を大事にしていた。野球がやれる喜び、野球が見られる喜び。見に行ってよかったな。ファン冥利だったな。ヨシオカ、野球っていいもんだよな。
ひとり暮らしで亡くなると検死や司法解剖の手続きが発生する。津田山のかわさき北部斎苑に北尾トロさんやライター仲間、ヨシオカの会社関係、ご友人が集まったのはそれから1週間ちょっと後だった。
みんなこわばった顔をしていた。やってられない気持ちだ。僕はヨシオカの会社の人から「コラムニストのえのきどいちろうさんの話をいつも聞かされてました」、ご友人からは「えのきどさんの本が大好きで、タイトルをメールアドレスに使ってましたよ」と教えられる。
棺に手を合わせたのだ。ヨシオカ、ありがとう。お別れだ。
だけど固いこと言うな、お前、道民なんだからファイターズ応援すりゃいいよ。
死んだからって応援やめないだろ。死んでても応援していいってオレ許可するから。
一緒にやってこうぜ。その思いはオレが背負って行くよ。
追記 えのきど公式アカウントは結局、入り方がわからず、
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