交流戦もしっかりと負け越した中日ドラゴンズ。「交流戦までに5割復帰!」と意気込めた5月が懐かしい、このままズルズルと負け続けては、言葉もないままにあきらめの夏です。
このままではいけない、それでも球場に行くファンはいるんだ、しっかりその声を届けよう。ということで、今回は昨年140試合以上観戦された小林優香(こばやし・ゆうか)さんから中日ドラゴンズへメッセージをいただきました。
140試合? ちょっと待ってくれどうやったらそんなに行けるんだ、アメリカ市民権の申請で一時期アメリカへ帰国したビシエドより球場にいるじゃないか?
聞きたいことは山ほどありますが、なぜそんなに観戦するようになったのか? まずは中日ファンになったその経緯から。
ドアラから始まったドラゴンズ愛
小さい頃から親に連れられてナゴヤ球場には行っていました。その頃好きだった選手は近藤真市ですね。今はコーチから離れスカウトに戻られてしまったので、息子の近藤弘基を応援していてオーダーユニフォームも購入して持っています。なかなか一軍に上がってこないので、今季はまだ着る機会は無いんですけど(笑)。ただ地元に住んでいる時は、まだ自分がドラゴンズファンだという自覚はなかったんです。
日本シリーズを制したあの2007年に、ちょうど転職で東京へ引っ越しました。そうすると地元の情報がぜんぜん入ってこないから、東京新聞と東京中日スポーツを取り始めたんです。「そのうち球場も行ってみたいな」と思っていたんですけど、仕事が忙し過ぎて行けなくって。そんな毎日だったんですけど、2014年頃に友達が「ドアラに会うためだけに2月沖縄キャンプに行って来ました」っていうのをSNSに上げていたのを見て。その時は「そんな人もいるんだな」と思っていたのですが、野球の試合はその年からちょこちょこ行くようになりました。
最初はドラゴンズ以外の試合も観たりしていたんですけど、やっぱりどうも違和感があって。でも中日の試合に行ったら凄くしっくりきたんですね。それで「自分は中日ファンなんだ」って意識するようになったんです。その頃は、ちょうどドアラが本を出したりしていた時で、ドアラが踊っている動画をみんながアップしたりするのも面白過ぎて。それでドアラを見るために中日ドラゴンズの試合に通うようになりました。だからファンになったキッカケは、ドアラだったんですよ。ドアラが全国的に有名にならなかったら、ここまで応援していなかったかもしれないですね。
ただ、東京にいると3球場(東京ドーム、神宮球場、ハマスタ)には行くことができるんですが、なかなかナゴヤドームには行く機会がないから阪神、広島戦は見れなくてね。首都圏の通勤がしんどかったのもあるけど、それでやっぱりと思い立って名古屋に帰りたくなって。
自分がそんなに名古屋に愛着あるとは思ってなかったんですけど、東京に行ったら地元が良かったなって気づいたんですよ。電車もそんなに混んでないし、道が広くて人もまばらだし。それで2016年に会社員を辞めて独立しました。仕事はIT系で、お陰様で良いお客様に恵まれて仕事も順調でうまくいっています。独立したのは野球のためではなかったんですけど、東京にいた反動で、地元が好きなこと、中日ドラゴンズを好きなことを自覚したのはありますね。