車で向かうには、国道32号線を吉野川に沿って上る。「大股で歩いても小股で歩いても危険だ」という大歩危小歩危(おおぼけこぼけ)の峡谷から脇道へ入り、くねくねと急坂を登る。山を一つ越えた先には「かずら橋」がある。長さ45メートル、高さ14メートル。昔ながらのかずらで編んだ橋である。
そこから、さらに谷を分け入って進む。軽自動車も行き交えないような道もある。
そうして30キロメートルほど山道をたどると、こぢんまりとした集落がある。
集落にはこれといった産業がなかった
綾野さんは名頃で生まれた。
「かつては300人も住んでいました。名頃ダムが建設された時には工事の人が住んでいたからです。銭湯やパチンコ店までありました」
だが、工事が終わると集落は活力を失った。山仕事以外に、これと言った産業がなかったからだ。
綾野さんの父も大阪に出た。このため綾野さんは中学校1年生の時に故郷を離れた。
それからは大阪で暮らし、結婚して居を構えた。「新大阪駅に近いビルの谷間のようなところでした」と綾野さんは語る。
名頃に帰郷したのは18年前だ。
先に戻った父が独り暮らしになっていた。老化で衰えた夫の父の療養にも適していると考えた。
かかしを作り始めたのは、それから2年ほどしてからだ。「畑に豆を植えたのに、芽が出ませんでした。鳥に食べられたのかなと思って、かかしを置きました。父に似せて等身大にし、作業着も父のを着せました」。人形作りは、大阪にいたころからの趣味だった。
「こんな人がいたら面白いな」と思うかかしを
すると近所の人が通りかかりに、「おはよう。朝早くから畑に出とるなぁ」と挨拶し、「なんや、かかしやった」と苦笑していくようになった。
綾野さんは面白がり、シルバーカーに乗ったお婆さんのかかしも作った。今度は「すいません。道をお尋ねしたいのですが」と車を下りて来る人が続出した。
その後は、「こんな人がいたら面白いな」と思うかかしを作っては、近所に置いていった。
これが話題になり、テレビや新聞で取り上げられるようになる。