「殺してやる」という一念で「無敵の人」状態に
「僕は28歳のときに結婚し、34歳で離婚していますが、元妻と別れたのはモラルハラスメントが原因でした。通り魔殺人を計画した時は36歳で、離婚し両親とも絶縁状態となった後でした。つまり、失うものが何もなかった。あのときは本当の意味で、孤独でした」
孤独な状態で追い詰められると、「支離滅裂な思考をクリアに巡らせる瞬間がくる」のだという。
「そうなると社会通念や倫理観などはどこかへ行ってしまって、『殺してやる』という一念だけで頭がいっぱいになってしまいました。まったくもって不条理な思考なのですが、あの時はとても正しいことのように思えたのです。世間で言われるところの『無敵の人』状態です」
「黒子のバスケ」脅迫事件から生まれた「無敵の人」
川崎と練馬の事件の後、「無敵の人」はインターネット上でトレンドワードとなった。この言葉が最初に注目を集めたきっかけは、2014年。約1年にわたって漫画「黒子のバスケ」の作者を脅迫し、逮捕された元被告が、裁判の冒頭意見陳述で述べたこの言葉だった。
〈日本社会はこの「無敵の人」とどう向き合うべきかを真剣に考えるべきです。また「無敵の人」の犯罪者に対する効果的な処罰方法を刑事司法行政は真剣に考えるべきです〉
「無敵の人」とは、「社会との繋がりが希薄で、失うものが何もない人」を指しているという。だが中村氏は、「無敵の人」という概念は、問題の本質を捉えていないと考える。
「『無敵の人』という言葉は、かつての僕のような人の素顔や心の傷を隠してしまいました。あの言葉は正しくない。彼らは家庭や学校、社会からの外圧で“傷つき果てた人”というのが正しいのではないでしょうか。そして事件の当事者たちに限らず、どこにでもいる存在なのだと思います」
これを聞いているかはわからないけど前職の上司、人事2名。つまりぼくが退職届を書いたときに会議室に居た人たち。あなた達の様々な言葉でぼくはとても傷つきました。
— 中村カズノリ🍄 (@nkmr_kznr) 2019年6月4日
カウンセリングで「育ち直し」はできるか
中村氏自身はDVから脱し、再婚して子宝にも恵まれた。家庭は円満で、暴力衝動に思い悩むことはもうないという。
「僕は、民間のDV加害者・被害者向けのカウンセリングで『育ち直し』をしたんです。特によかったのがグループワークで、DVに悩む家族が、加害者も被害者も一緒に参加していました。そこでのやり取りを、第三者として眺めることで、暴力を抑えられない自分を客観的に振り返ることができた。
先輩参加者同士の会話を聞けたのもためになりました。『こんな感情の伝え方があるのか』とか、『自分と違う意見を言われた時にはこう反応するのか』とか。また、自分の話を否定されない場で語り、共感してもらうということも傷を癒やす大きな力となりました。そういった体験を積み重ねることで、友人ともいい関係が築けるようになっていきました」
ある友人は「なんだか昔より付き合いやすくなったね」と言ってくれたという。
「僕は一度どん底に落ちて、藁をもつかむ思いでカウンセリングに行った。落ちるところまで落ちないと、素直に人の話を聞けるようにはならないんですよね。でも、どん底に落ちる前に、取り返しのつかない事件を起こしてしまう場合もある。それを防ぐためにも、かつての僕のような人間たちが助けを求めやすい環境を作っていかなければいけないと思うんです」
中村氏はきれい事の支援ではなく、自分の経験を赤裸々に話し、カウンセリングに役立てることで、人知れず苦しんでいる多くの人たちを救いたいと考え、今の活動を始めたのだという。