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 そしてこのアクロスティック、私の本業である短歌ときわめて関係の深い言葉遊びである。『伊勢物語』第九段、通称「東下り」の章で、在原業平がこういう歌を詠むくだりがある。

唐衣きつつなれにしつましあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ
在原業平

 意味についてはそれぞれ勝手に調べていただくとして、まずこの歌を「五七五七七」の各句に分割してみる。

唐衣/きつつなれにし/つましあれば/はるばる来ぬる/旅をしぞ思ふ

 そして各句の頭文字を取ってゆくと「か・き・つ・は・た」となる。つまり「かきつばた」という花の名前が隠れているのである。このような仕掛けを施して短歌を詠む遊びを、「折句」という。業平の歌があまりに有名なため、折句の異名として「かきつばた」が使われることもある。歌人で折句を作ったことのない人ってたぶんひとりもいないんじゃないかなといえるくらい、ポピュラーな遊び。スランプに陥ったときとかにやってみると、なまっていた脳の部位が刺激されて良かったりする。短歌は五句なので五文字だけれど、俳句だと三文字の折句になる。例として、私が実際に作ったことのある折句を一首紹介してみよう。

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生ぬるいツナサラダとか優しさで救はれてたこと認めたくない
山田航

 折句「なつやすみ」である。にもかかわらず夏休み感ゼロで、むしろ恋愛に疲れた大人の歌に仕上がったところが気に入っている。

 そして歌人のなかには折句の名手といえる人もいる。その代表として紹介したいのが、山中千瀬さん。早稲田大学短歌会出身で、1990年生まれのまだ若い方。彼女の折句は、半端じゃなくテクニカル。正直、歌人としてより言葉遊び好きとしてちょっと悔しさを感じてしまうくらい。いくつか紹介してみたいと思う。

悪いことするひとになろう連絡橋のグリーンあわくさようなら春
ならこれはルールなどない恋 こわれゆくものばかり輪廻を語り
反照のなかでふたりは見つめあいズームアウトがきれいにきまる
ラストシーンを何回も見た。急にもたらされた解を好きになれずに
山中千瀬「花図鑑(抜粋)」

 これはいずれも花の名前が折句で隠れている連作で、一首目は「ワスレグサ」、二首目は「ナルコユリ」、三首目は「ハナミズキ」、四首目は「ラナンキュラス」を詠み込んでいる。この完成度の高さは素晴らしい。ひと目では折句だと全くわからないくらいに短歌として整っていて驚く。「ワスレグサ」や「ハナミズキ」は五七五七七の各句の頭文字を取っているスタンダードなスタイル。注目して欲しいのは二首目。五七五七七の各句に区切ってみるとこうなる。

ならこれは/ルールなどない/恋 こわれ/ゆくものばかり/輪廻を語り

 なんと「ナルコユリ」の「ユ」の字は、文節の途中に入っているのである。このように音の句切れと文節の句切れをずらすことでシンコペーションのようなリズムを作り出す技法を「句またがり」といって、短歌では結構ポピュラーな技法。私もよくやります。でも、折句でこれをやるのは相当なウルトラC。「この字を頭文字にしなきゃいけない」と考えると、普通の脳だとどうしてもその字が文節の頭に来る言葉しか思いつかない。しかし山中さんは文節の途中にも自在に、前もって決めた文字を組み込んでゆくことができるのだ。五七五七七のリズムが体に徹底的に染み込んでいることと、ボキャブラリーの豊富さがあるからこそ出来る芸当である。

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