メジャー契約「40人枠」の厚い壁
一方でマイナーならではの厳しさは今季も変わらない。米球界ではメジャー契約(40人枠)と他の選手の扱いの違いは歴然としている。「米国屈指の労働組合」と言われる大リーグ選手会は、あくまで40人枠内の選手の権利を守るための組織。同じマイナーのチームでプレーしていても、40人枠に入っているメジャー契約の10数人とマイナー契約の選手では立場が異なる。
日本の1、2軍の入れ替えとは違い、マイナー契約の選手を昇格させるには、メジャー契約の選手を1人解雇して枠を空ける必要がある。それだけ飛び抜けた成績を残さなければ昇格の道は開けないし、マイナー契約のうちはチーム事情に翻弄されることがいくらでもある。
加藤は5月17日、2Aに降格した。その時点での打率は3割5厘。前夜の試合では得点につながる二塁打を放っていた。5月21日に再昇格した後は、リハビリ出場の大リーガーに押し出されて出場できないこともあった。「そういうこともあると分かっていた。自分にコントロールできることだけコントロールするということです」とプレーに集中する。
6月8日には再び2Aに送られた。1、2年目は焦りがあったというが「今はプレーだけでなく、野球のビジネスサイドも分かってきている」と話す。とにかく活躍を重ね、まずはメジャー契約を勝ち取るしかない。
「勉強は好き」と理路整然
何事も論理的に考え、解決しようとする姿勢が言葉からうかがえる。
米国育ち。日本で教育を受けたことはなく、日本語の補習校に通うこともなかった。日本語で理路整然と話すのは少年時代に家で重ねた勉強の成果だという。「小さいころは野球とサッカーを両方やっていて(補習校の授業がある)土日は埋まってしまっていた。『スポーツをやめるか、家で勉強するか』と母に言われて勉強をした。勉強は嫌いじゃない、というか好きです。野球だって毎日勉強をしているような感じ」
高校時代は、カブスのコール・ハメルズ投手ら現役大リーガー3人を出しているカリフォルニア州サンディエゴ市のランチョバーナード高でプレーした。アマ球界で名将として知られたサム・ブレーロック監督は、個々の選手の練習スケジュールやメニューをプロ並みに管理する一方、試合になると「Just play」と選手に考えさせる方針だった。このチーム運営が加藤の性格に合い、大きく成長した。カリフォルニア大ロサンゼルス校(UCLA)への進学が決まっていたが、ヤンキースからの高評価でプロ入りした。