文春オンライン

退職社員のデータ盗難をきっかけに開発された「情報漏洩対策ソフト」が大ヒットした話

「さらば! サラリーマン 脱サラ40人の成功例」小路幸市郎さんのケース

2019/06/30
note

 だが、4年生のとき父親が死に、大学院に進むことは諦めた。1981年に卒業、給料をもらいながら学べる技術員制度の推薦をもらい、武蔵工業大学(現・東京都市大学)電気工学科に技術スタッフとして就職した。

 が、起業への思いは抑えがたく、まず技術の第一線を体験することだと考えた。起業するにもまず技術と現場を知らなければ話にならない。

ベンチャー企業に転職するが放漫経営で倒産

 2年後、NECのロボットチームから独立した社員3人のベンチャー企業、メカトロニクスに転身した。ここでは財務、技術、営業などすべてを見ることができた。会社も急激に成長し、数年後には社員百人規模の会社に育ったが、余裕から手を出した土地事業に失敗して経営が傾き、社員が次々に退職、会社は潰れた。

ADVERTISEMENT

 1988年、ソフトウェア開発のベンチャー企業に再就職した。が、この会社も5年ほどで経営が悪化した。両社とも経営陣に財務や経理をチェックできる人材がいず、放漫経営の恐ろしさを痛感した。

放漫経営で2度の倒産 ©iStock.com

 1994年5月、自宅をオフィスにサイエンスパークを創立した。それまでのサラリーマン生活で失敗例を嫌というほど見てきたから、要するに前車の轍を踏まなければいいと考え、経営には自信があった。仲間はリストラされた友人、プログラミングなど仕事はできるが精神を病む友人の2人だった。

 専門はソフト制作だったが、最初は「なんでもやります」のご用聞き商法に徹した。小路さん自身が上場会社を中心に約400社を営業に歩いた。歩くうち、「お宅はドライバーを作れるの?」と聞かれた。

 ちょうどウィンドウズ95が出たばかりのころだった。プリンターやスキャナーをパソコンにつなげて動かすにも、ドライバーという一種のソフトを用意しなければ動かない。が、ドライバーは機器の付属物だから、直接お金になるものではない。そのくせ作るためには、(1)アプリの知識が必要、(2)ベースになるOSの知識が不可欠、(3)パソコンのハードを熟知、(4)わずかに出ているマニュアルは英語しかなかったから英語を正確に理解、(5)経験が必要――という面倒な作業であり、大手の社員が喜んでする仕事ではなかった。

 会社に帰って仲間に聞くと、1人は「ドライバーなど聞いたこともない」といい、もう1人は「ある、ドライバー作りをやりたい」と答えた。小路さんはこれで受注を決意し、すぐレポートをまとめ、大手会社に提出した。