誇れるほどの父親をもつと、親離れしにくいものなのだろうか。先ごろ大阪で起きた、交番の警官を襲い拳銃を奪った事件の犯人は、Facebookのカバー画像に、父親がかつて役員をつとめたBS局の番組ロゴが入ったメモ用紙の写真を用いていた。偉大な父親とのつながりを示すモニュメントであるかのようだ。
それは成功者であっても同様である。「父に愛されていたのは、私なんです」、かつてセゾングループを率いた堤清二は、85歳にもなってこんなことを話している。大実業家であった父の葬儀は豊島園の特設会場で行われ、5万人が訪れた。そのとき、葬儀委員長は異母兄弟の義明(西武グループの首領)がつとめ、あたかも正統な後継者は彼であると示されたかのようであった(注1)。そのことに堤清二は生涯を通じて抗おうとしたかのようである。
一生、親がついてまわる人生。そんなことをおもってしまう。
川崎事件の影響が取り沙汰された元農水事務次官事件
「元国のトップ」と父親のことを称した44歳の「引きこもり」が、農水省事務次官であった父親に殺されたのは6月1日のことであった。
殺害された男性は生前、「私の本名や家族を知ったら驚きますよ」とオンラインゲームで知り合った女性にダイレクトメッセージを送っている。国民的スターや大物政治家ならいざ知らず、農水省の元事務次官くらいでは、たいして驚きはしないのではないかと思うところだが、そうまで言ってしまうほど、父親を仰ぎ見て、またその威光を背景にして生きていたようだ。
この事件の4日前に、川崎市で「引きこもり」の男が通学中の小学生ら20人を殺傷する事件が起きたこともあって、SNSでは発生直後からその影響を詮索するむきがあった。
そうした邪推に応えるかのように、「運動会の音がうるせえ。子供らをぶっ殺すぞ!」と言う息子の姿に川崎での事件の殺人者が重なり、父親は犯行を決意したと報じられる。
するとネットでは未然に大量殺人を食い止めるべく行ったとして、親のつとめを果たしたなどと褒めたたえる声があがる。殺人者の実妹も、「兄は武士ですよ。追い詰められて、誰かに危害を加えてはいけないから最後は親の責任で(長男の殺害を)決めたのでしょう。それは親にしかできないことです」と兄を擁護する。
しかしながら警察の取り調べでは「長男を刺さなければ、自分が殺されていた」とも供述したり、息子が激しく暴れた後に「今度暴力を受けた時は危害を加える」とほのめかしていたりと、たんに家庭内暴力に耐えきれずに起きた殺人ともとれる。
マスコミは世相と絡めた動機を探すが……
思い返せばこれまた元事務次官がらみの事件だが、08年に厚労省元次官が相次いで殺傷された際には、「消えた年金」が問題になっていたりしていたことから、「年金テロ」と深読みされた。しかし犯人を逮捕して取り調べてみると、40年前に保健所に愛犬「チロ」を殺されたことへの報復であったと判明する。あるいは秋葉原通り魔事件も「派遣切り」などの社会問題と絡められた動機を推測されたが、後の公判でそうでもないことがわかる。
犯罪は世相のうつし鏡のようでいて、当事者からすれば、往々にして殺人はいたって個人的なものであるようだ。くだんの事件が家族同士の葛藤のすえに起きたように。