羽生結弦、21歳。ドラマティックな青年です。
「彼なら何かすごい事が起こる。絶対にやってくれる」。
そう感じさせるカリスマ性が、多くのファンを惹き付ける理由でしょう。特に今季は、NHK杯とグランプリファイナルで前人未到の300点超えを果たし、“絶対王者”として伝説的な活躍をしています。
しかし本書『羽生結弦 王者のメソッド 2008-2016』は、彼の順風満帆な成功を記した本ではありません。むしろ彼が苦悩し、多くの物をしょいこみ、自問自答し続けた日々をつづった“葛藤の記録”です。
実のところ、「羽生結弦を描くなら今だ」と思ったのは、世界最高得点を出したNHK杯より1カ月以上前にあたる2015年10月15日、カナダで行なわれたオータムクラシックの時でした。
いつになく覇気がありません。彼自身が最も嫌う“ネガティブ”な言葉さえ漏れていました。普段は記者との会話を楽しむかのように饒舌に語る彼が、「何ですかね……その……」と口ごもるのです。
標準装備の彼は、「自分は、こうなりたい」という像がハッキリとしていて、それを言葉にします。ところが珍しく心に迷いがあった羽生選手は、理論や目標を理路整然と語ろうとはしません。隙のある言葉をそのまま口にしていました。
その瞬間、「ああ、これが彼本来の、迷う心、そして葛藤している段階の思考なんだ。羽生結弦の真の姿を描くなら、今だな」と感じたのです。
カナダから帰国後、すぐに2007年以降の取材ノートを、改めて読み返しました。そして「本心から出た弱気」「弱気を払拭するために、冷静に頭脳をめぐらせた葛藤」「理想の自分になるための、強気な発言」と、異なる精神状態での発言を分類していったのです。ノートを読み終わった時、そこには自然と『王者のメソッド』が浮かび上がっていました――。
そのオータムクラシックまでの経緯を、ちょっと振り返ってみましょう。
彼は、ソチ五輪後の2014-15シーズンから、『プログラムの後半に4回転トウループを跳ぶ』ことを新たな目標に掲げていました。一般的にプログラム後半は、疲労も溜まることから4回転のような大技の成功率は低くなり、そのぶん得点も1.1倍になります。
しかし昨季は怪我や病気が相次ぎ、『後半』の挑戦はいったん取り下げ。シーズンを通して戦い続けることが、何より先に乗り越えるべき壁となっていました。
そんなわけで15年夏のオフ、改めて今季の課題として『後半の4回転』を掲げたのです。常に成長し続けていきたい彼にとって、1年前と同じ課題を掲げたことは、かなり複雑な心境だったのでしょう。記者陣から「去年と同じジャンプ構成ですね」と聞かれると、「昨年この時期に、フリーでもショートでも後半での4回転は出来ていましたし、そういう意味ではジャンプ構成は同じことかもしれません。でも振り付けや、プログラムの難易度をちょっとずつ変えて、ところどころ進化してる実感はあります。1日1日小さい課題かもしれないですけれども、こなしていきたいと思います」と答えました。
“ちょっとずつ”“ところどころ”“小さい”と、彼にしてはデクレシェンド(だんだん弱く)な装飾語が続きます。話す声のトーンもだんだん小さくなっていきます。
「彼にしては、なんだかハッキリしないな」
そんな印象を受ける、15年夏でした。
そして10月のオータムクラシックを迎えます。練習の時から『後半の4回転』の成功はまばらで、本番はショートもフリーもミス。すると、彼は弱気を隠さないままインタビューに現れたのです。