「伝統的な皇太子妃の在り方」と「自分らしさ」のバランス
雅子さまは、1996年の誕生日会見で「伝統的な皇太子妃の在り方というものと、それから自分らしさというものを、どのように調和なり、バランスの良い接点というものを見いだしていくかということについては、その時々で苦心もいたします」と胸の内を明かされたことがある。これは、雅子さまが初めてお一人で臨まれた記者会見でもあった。
皇太子時代の天皇陛下と雅子さまにとって、外交などの活動へ専念される前に、お世継ぎ問題が立ちはだかっていたことは否めない。それが結果として、2004年5月の「それまでの雅子のキャリアや、そのことに基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」といういわゆる“人格否定発言”につながった一因とも言える。
2002年12月、お二人は約8年ぶりの外国親善訪問(ニュージーランドとオーストラリア)を果たされた後、「雅子についても外交官として国際的な仕事を志していたことから考えて、何年もの間、外国への親善訪問ができなかったということは辛いことだったと思います。その意味でもとてもよく辛抱したと思います」(2003年2月、誕生日会見)とまで陛下は述べられた。
「伝統的な皇太子妃の在り方」と「自分らしさ」のバランスとは、雅子さまにとって永遠のテーマとも言えるのではないだろうか。それはファッションからも垣間見えることがある。
例えばパンプスについて、これまでの雅子さまは安定感のあるヒールで、革のフォーマルなタイプを選ばれることが多かったように思う。雅子さまは身長が高いため、陛下より目立ってしまわないようにという配慮もあったのかもしれない。
それから、学習院初等科2年生だった愛子さまが不登校のような状態になられ、その後雅子さまのお付き添いが続いた時期、現場で取材をしていた私は、ネイビーやダークグレー系のパンツスーツ姿の雅子さまをよくお見かけした。この頃、ある学習院関係者は「お母さま方の中に、パンツスーツで学校にいらっしゃる方が増えた」と苦言を呈していたことを思い出す。学習院の保護者にはネイビーのスカートやワンピースを着ている人が多かったのだが、パンツスーツ一つとってもこのような意見が出るのか、と驚いたものだ。こうした風当たりは、皇太子妃としての公務の場合も様々にあったのではないかと想像する。