「カープファンやめようかな……」

 11連敗の夜。ぽつりと呟いた知人カープファンの横で、20年前の『球団ワースト記録13連敗』を思い出していた。

1999年、球団ワースト記録の13連敗

 それは奇しくも同じ6月終盤から7月にかけての大連敗だった。

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 あの時も、唇を噛み締めダグアウトに消える緒方孝市や佐々岡真司の姿を見ていた。あの時も『投壊』『大量失点』『エラーの連鎖』『2軍落ち』が吹き荒れていた。何もかもがシンクロしているように見えた今季と20年前の連敗。

 しかし、そこが新井貴浩や東出輝裕の台頭、黒田博樹の転機など、後のカープの支柱となる男たちのターニングポイントだったこと、自分自身が“ファンとしての胆力”がついたことも思い出した。

 今回は、20年前のスクラップを元に『球団ワースト13連敗』を再現してみる。当時の選手とファンの悔しさを味わいながら、今季の連敗に見え隠れする“未来の鉱脈”を皆さんに感じて頂けたら幸いだ。

心機一転と大量失点からそれは始まった

 交流戦最下位に沈み、心機一転リーグ再開となった6月28日、昨年のセ最多勝エース・大瀬良大地を立てながらまさかの13失点を喫したが、20年前の6月25日も、前日に17連敗中と鬼門だった神宮球場で2年ぶりに白星をあげリーグ単独2位に浮上、「ここから心機一転」と指揮官が語った翌日に15失点。新聞には『投手陣サンドバッグ』の文字が躍った。さらに2連敗で迎えた横浜戦では、前の月にノーヒットノーランを達成し、6月で早くも9勝をマークしていたエース佐々岡真司が、まさかの球団ワーストとなる1イニング12失点を喫しKO。4-20の辛酸を舐めチームに暗雲が垂れ込め始めた。

『投手陣サンドバッグ』
1イニング12失点

 エースの敗戦はチーム全体に波及した。次戦ではそれまで3勝負けなしだった二番手エース・紀藤真琴が初回に5失点を献上し初黒星。投手陣の2軍降格も始まり、当時の主力、野村謙二郎、前田智徳、緒方孝市らがケガで欠場し始めたのである。

1999年にノーヒットノーランを達成した佐々岡真司(現一軍投手コーチ) ©文藝春秋

主力の奮起とルーキーの台頭

 しかし、野村・緒方・前田ら主力は最低限の欠場ですぐに前線に復帰しチームを鼓舞した。特に選手会長だった緒方は「明日です明日!」と常に語り、満身創痍ながら背中でチームを引っ張り続けた。これはどんなに連敗・惜敗を重ねても「選手は諦めてない」と繰り返す現選手会長・會澤翼と重なって見える。

 さらに5連敗で迎えた7月4日には、代打に起用されたルーキー・新井貴浩がホームラン。昼間は2軍の試合に出場し、夜は1軍に合流するという生活を送っていた新井は、打率1割台ながらフルスイングを心がけ、この日、2軍で2発、1軍で1発、一日に3本のアーチを放ち紙面を飾る。

一日に3本のアーチを放った新井貴浩

 そして10連敗で迎えた7月10日には、同じくルーキーの東出輝裕が初スタメンに起用され、3安打の猛打賞。大連敗のなか後に主力となる二人の若鯉が確かな“プロの手応え”を得る。これは乱高下の続く現チームのなかで経験を重ねているルーキー小園海斗らにも繋がる未来への試金石のはずだ。