文春野球コラムペナントレース2019。今シーズンより「文春カープ」のレギュラーメンバーとして参加させていただき、今回で3回目の登板となるガル憎です。1974年生まれの45才で、広島出身。よく言われることですが、自分くらいの世代の人たちは、親の影響で物心ついた時からカープファンになっていた、あるいは「そうさせられていた」という人が圧倒的に多いのではないでしょうか。もちろん自分もそのひとり、記憶に無いほど小さい時からカープの帽子を被らされていたのですが、それを遂行したのは両親ではなく、意外にも「お婆ちゃん」でした。皆さんからすれば「どっちでもいいわ!」でしょうが、じつを言うと、そこには思わず納得せざるを得ない「物語」があったのです。
カープが初優勝を飾ったのは球団創立26年目の1975年。皆さんもご存知のとおり、そこまでの道のりは非常に険しいものでした。そんな中で現在も語り継がれているのが、1952年、経営難によりカープが解散、もしくは他球団と合併するかもしれないという話がきっかけで始まった「樽(たる)募金」。戦後の復興の象徴、原爆ですべてを奪われた広島の希望であるカープを無くさないでくれ。市民が立ち上がり、県営球場(旧広島市民球場に移転する前のカープの本拠地)の入り口などで募金活動を開始。広島をあげての後押しがあってチームは存続したのですが、なにを隠そう、お婆ちゃんもその樽募金に何度も協力していたのです。
樽募金とデートとふたり
ある日のこと。のちにお婆ちゃんと結婚することになるお爺ちゃんが「たまにはふたりで美味しいものでも食べよう。少し贅沢をしてレストランにでも行こう」と言ったことがあったそうです。決してお金に余裕があったわけではないけど、普段とは少し違う特別なデートをしようというお爺ちゃんの計らい。お婆ちゃんは喜び、互いにお洒落をして、とある駅で待ち合わせ。ワクワクしながら待望のレストランに向かっていると、視線の先に県営球場の姿が。何度も観戦に行った場所、そして、その日も行われていた樽募金。
球場を通り過ぎようとしたふたりの視界に樽募金の光景が映った時、お爺ちゃんが「今日も少し募金していこうか」。そのまま球場の入り口に足を進め、小銭を樽の中に。普通ならここで終わり、いよいよデートの始まりであり、あとは目的のレストランに行って美味しいものを食べるだけ。しかし、ふたりはその場で立ち止まり、しばしの沈黙のあと、婆ちゃんが「ねえ。大きいお金も募金せん?」。お爺ちゃんは驚いた顔をして「ありゃ。お前もそう思うたんか」。なんとふたりは、意気投合と言わんばかりに、持っていたお札すべて樽の中に入れてしまったのです。さらに言えば、残っていた小銭すらも。この時点でレストランという選択肢は消滅。小銭もすべて無くなったのでレストランどころか帰りのバス代も電車代もありません。どうするの? 一体、今日のデートはどうするの?
なんと。ふたりは「手をつないで歩いて帰ろう。もうお金が無いから歩くしかないし、帰るまで時間もかかる。その時間をデートだと思えばええ」。そう話したそうです。その話を聞いた時、涙が止まりませんでした。ふたりの想いとカープ愛のすごさ、ただ歩くだけの時間をデートと考える気持ち。やがてふたりは結婚、そして娘……つまり自分にとっての母親という新しい命を授かってからも観戦を続けていました。母親はお婆ちゃんの胎内でカープファンの応援や歓声、当時あるいは昭和の名物でもあった鬼のようなヤジもしっかり聞き、時を経て生まれた自分もカープファンに。まさにこれが、お婆ちゃんにカープの帽子を買い与えられたことを納得せざるを得ない「物語」なのです。