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「玉砕」でも終わらなかった戦い

 しかし、実はその後もペリリューの戦いは終わらなかった。地下壕に籠もったわずかな残存兵たちが、ゲリラ戦を展開したのである。そして彼らは昭和20年8月15日の終戦も知らないまま、なんと戦後になっても潜伏生活を続けた。その中の一人、海軍上等水兵だった土田喜代一さんは次のように話す。

「私たちは日本が敗れたことも知らず、ひたすら友軍の助けを待っているような状態でした。『米軍に見つかれば、必ず殺される』と固く信じていました」

ペリリュー島から生還した土田喜代一さん(手前)、永井敬司さん(奥)と接見された両陛下 ©宮内庁提供

 土田さんが続ける。

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「そんな中、『日本はもう負けている。アメリカに投降しよう』と主張する戦友がいましてね。しかし、その彼は結局、上官に射殺されてしまいました。本当にひどい話です」

「桜が散る季節になると、どうにもたまらない気持ちになる」

 彼らが状況を理解して投降したのは、終戦から1年半以上も経った昭和22年4月のことだった。前述の永井敬司さんは言う。

「戦争ほど悲惨なものはありません。そこにあるのは人と人との殺し合い。日本兵はもちろん、私たちが戦った相手のアメリカ兵にだって、その一人ひとりに親や兄弟がいたんですからね。そのことを考えると、胸が痛みます。戦争というのは本当に哀れなものです」

 永井さんはこうも語る。

「私は春の終わりの頃、桜が散る季節になると、どうにもたまらない気持ちになるんです。それは、玉砕の時の『サクラ、サクラ、サクラ』という言葉と、戦友たちが散っていった場面がどうしても重なって思い出されるから。私にとって春というのは、とても悲しい季節なんです」

©JMPA

 両陛下のご訪問によって、ペリリューの戦いは以前よりも注目を集める存在となった。しかし、その実像を十分に理解している人はいまだ少ない。両陛下は譲位されたが、「ペリリュー戦をいかにして語り継いでいくべきか」という課題は、両陛下から国民への「宿題」のようにも思える。

 玉砕から75年目の今年、改めてペリリュー戦に思いを寄せる機会としたい。