NHKの大河ドラマ『いだてん~東京オリムピック噺~』は先週から第2部に入った。きょう7月7日放送の第26回「明日なき暴走」では、1928(昭和3)年のアムステルダムオリンピックを、日本女子で初めてオリンピックに出場した陸上選手の人見絹枝を中心に描くようだ。同回の演出を手がけた大根仁は雑誌の連載コラムで、いわゆる「神回」というフレーズは陳腐で好かんとしながらも、この回にかぎっては《ハッキリ言って神回です!!》と太鼓判を押していた(※1)。ツイッターの『いだてん』公式アカウント(※2)も放送前から「#人見絹枝に泣いた」というハッシュタグをつけてPRしており、ますます期待が高まる。

もともとは軟式テニスをしていた人見

『いだてん』では人見絹枝をダンサーの菅原小春が演じている。初登場は第22回(6月9日放送)で、第1部の主人公・金栗四三(演:中村勘九郎)が東京府立第二高等女学校(通称・竹早)の教え子たちを連れて、岡山高等女学校(岡山高女)で開催されたテニス大会に参加したときのこと。そこで竹早の生徒たちを完膚なきまでに叩きのめしたのが、岡山高女から出場した人見であった。このとき、金栗とともに生徒を引率した竹早の教員・増野シマ(演:杉咲花)は、恵まれた体格と身体能力を持つ人見に陸上競技の素質を見出し、東京に戻ってからあらためて彼女に陸上への転向を勧める手紙を書き送っている。その後、シマは関東大震災で行方不明となるのだが、ドラマでは女子スポーツの普及を目指したシマの意志を、人見が引き継ぐ形で陸上に転向するというふうに描かれていた。

『いだてん』で人見絹枝を演じるダンサー・菅原小春

 人見が岡山高女でテニスをしていたのは史実である。だが、彼女が東京の女学校の教師に勧められて陸上に転向したというのはあくまでフィクションだ(そもそもシマは架空の人物である)。

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 人見絹枝は1907(明治40)年1月1日、岡山県の自作農の次女として生まれた。県立岡山高等女学校に入学したのは1920(大正9)年のこと。この高女時代に人見が熱中したのが、校内で盛んに行なわれていた軟式テニスである。始めるきっかけは、入学後まもなくして、県内庭球大会で先輩たちが女子師範学校に敗れるのを見て、自らリベンジを果たしたいと思ったことだ。1本1円30銭のラケット(白米1升が59銭だった当時としては高価なものだった)を母親に買ってもらい、テニスを始めた彼女は、2年生で本選手になると、その年の県内庭球大会で優勝、先輩たちの雪辱を果たした。