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ドイツ、オーストリア、イタリア……様々な国へ家族で旅行

 82年6月から約2カ月、雅子さんは西ドイツ(当時)南西部の街・シュトゥットガルト近郊のゲーテ・インスティテュートで、本格的にドイツ語を学んだ。講習を終えた雅子さんは、モスクワから合流した家族といっしょにオーストリアのウィーンやイタリアのベネチア、フィレンツェ、スイスのアイガーを旅行した。アイガーでは、恆さんを先頭に登山電車に乗って登り、ユングフラウなどの山々が雄大にそびえ立っている眺めに感動した。

カナディアンロッキーにて 宮内庁提供
妹とイタリア旅行 宮内庁提供

 19歳になった雅子さんは、同じ年の冬休みには、ジージーの実家があるプエルトリコで10日間を過ごした。雅子さんはすっかり日焼けして健康そうだった。

すっかり日焼けした雅子さまと、ハーバード大学時代の親友ジージーさん(大学1年生時) 宮内庁提供

「日本文化クラブ」で芽生えた「日本人の誇り」

 大学3年になると、日本人や日系人で作る「日本文化クラブ」の会長に就任し、学内で日本人によるコンサートを開催。『さくらさくら』を手始めに、名曲をピアノで演奏した。当時はまだあまり知られていなかった「日本文化」に親しんでもらう企画として、日本の言葉や伝統、習慣を説明し、音楽や伝承遊びなどの文化を紹介、自ら海苔巻やお茶を振る舞った。

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 これまで、学級委員や班長など“長”の付くものはやりたがらなかった雅子さんだったが、「日本文化クラブ」は、まるで使命感があるように率先して行ったのだった。かつて私の取材に、同室だったリーサさんは雅子さんのことをこう振り返っている。

「日本に興味を持って質問する学生には、写真やガイドブックなどを見せて説明を怠(おこた)りませんでした。恥ずかしがりやのマサコが前に出て、通る人たちに声を掛けている姿を見たときには、日本人として誇りを持っていることが良く分かりました。当時、私も日本について、良く知らなかったのですが、彼女の説明を聞いているうちに興味を持つようになったのです。なかでも日本人には、心の奥ゆかしさや慎み深さというものがあって、主張だけでなく相手の心を思いやるということができると語っていたのを思い出します。

2018年秋の園遊会に黄色の着物で出席された雅子さま

 また、マサコは大変な努力家で、人との関係はどんな状況でも平等でありたいと願っている人でした。とてもピュアで、そんなところがアメリカ人から好感を持たれるのだと思っていましたが、それは日本人にもきっと届くであろうと思っています。マサコはハーバード大の学生のように教育を受けた者こそ、世界に自国の文化などを伝えていかなくてはいけないと言っていました」

 雅子さんが皇室に入ることを決意された理由の一つにこうした気持ちもあったのかもしれない。それは、海外に暮らしたからこそ芽生えた「日本人の誇り」だったのだろう。

皇后雅子さま物語 (文春文庫)

友納 尚子

文藝春秋

2019年7月10日 発売