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「台湾は世界に残された最後の植民地だ」100歳の独立運動家が衝撃の「最終講演」

日本亡命40年、蔡英文総統のメンターが説く台湾のゆくえとは

2019/07/17
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池袋で昼はギョウザを包み、夜は爆弾を手作りする日々

 政治亡命が認められた史明は、今も池袋駅西口で“老舗の町中華”として親しまれている『新珍味』をオープン。店を台湾独立運動の拠点に据え、昼はギョウザを包み、夜は国民党政権を倒す地下工作のために爆弾を手作りするアグレッシブな日々に身を投じる。

 爆弾は日本人活動家の助言を受けながら、黒色火薬や塩素酸ナトリウムなどを調達して作った。稚拙な出来ではあったが、密かに台湾へ持ち込まれ軍用列車転覆事件などで使われている。

『新珍味』で餃子づくりにいそしむ、史明と内縁の妻・平賀協子(1950年代) ©独立台湾会/史明教育基金会

『新珍味』には史明を慕って、作家の武者小路実篤や開高健、五・一五事件で犬養毅首相を暗殺した三上卓、初代内閣安全保障室長の佐々淳行、日本赤軍の幹部、果ては地元のヤクザまで、多士済々が足繁く通った。その一方で、史明は台湾から1000人を超える若者を呼び寄せ、店の階上で密かにテロリストとしての訓練も施していく。 

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 商売や地下工作活動にいそしむ傍ら、為政者ではなく市民の視点で書かれた初めての台湾通史『台湾人四百年史』を執筆した功績も大きい。ロングセラーとなったこの大著は、台湾人が「われわれは中国人とは別個の存在なのだ」と自覚していく上で大きな役割を果たし、民主化の道しるべにもなったからだ。

「ブラックリストに載る最後の大物指名手配犯」だった史明も1993年、台湾の民主化に伴って40年ぶりの本帰国を果たし、祖国で独立運動を展開していく。

台湾を覆う“中華民国という呪縛”

 そもそも史明はなぜ、台湾の「独立」を叫び続けるのか。

 それには多少なりとも、台湾の複雑な立ち位置を知っておく必要がある。

 台湾の正式な国名は「中華民国」だ。台湾、ではない。しかもこの中華民国は台湾とは何の関係もなく、毛沢東との覇権争いに敗れた蒋介石が、1912年~49年の中国の国家体制をそのまま台湾に持ち込んだもの。そして完全に民主国家となった今も台湾は、国名から憲法、国旗、国歌、公用語、軍隊、官僚機構に至るまで、よそ者の蒋介石たちが中国で作った仕組みをそのまま踏襲している。

『新珍味』の階上では多くの仲間が夜通し、台湾独立を語り合った(1990年代) ©独立台湾会/史明教育基金会

 国歌の歌詞は、民主進歩党(民進党)に政権交代した今も変わらず、「三民主義、吾党所宗(三民主義こそ我が中国国民党の指針)…」なのだ。外来の中華民国という呪縛から逃れられない台湾──史明が「世界に残された最後の植民地」と話すゆえんである。

正式な外交関係を結んでいるのはわずか17カ国

 国際社会で台湾(中華民国)が正式な国家として認められていない現状も、独立問題を複雑にしている。中華民国は戦後、「China」として国連安全保障理事会常任理事国の地位を維持していた。だが1971年、国連は中華人民共和国(中国)を「China」として加盟させる決議を採択。これに反発した蒋介石は、中華民国を国連から脱退させてしまう。

 中華民国、つまり台湾を独立国として認めない中国は今も、「台湾は中国の一部分で、国家ではない」と主張し、その受け入れを外交樹立の条件としている。このため日本や米国を含む多くの国・地域はまず、中華民国と断交し、中国を「China」として承認するほかなかった。

台湾本帰国後も、街宣カー部隊を連ね全域を飛び回る史明(1990年代) ©独立台湾会/史明教育基金会

 中台(中華人民共和国と中華民国)がそれぞれ「我こそが唯一無二で正統なChina。相手側はフェイクだ」と主張している以上、各国は中台双方を同時に外交承認することができない。中国の経済成長とともに台湾と断交して中国に寝返る国は増加の一途をたどり、今、台湾と正式な外交関係を結んでいる国はわずか17にとどまっている。

 民主化が進み、どれほど市民の台湾アイデンティティーが高まろうとも、史明は「台湾が『中華民国』や『中華民国憲法』に縛られた不正常な状態から脱しない限り、真の独立国とは言えない」と主張し続ける。