6月30日、台湾・台北市の国立台湾大学で、今年101歳になる現役の台湾人革命家・史明(しめい)が人生最後の講演を行った。 “おじさん”を表す台湾語の愛称「欧吉桑(オゥジィサン)」で親しまれている史明は日本統治下の台北に生まれ、その生涯のすべてを台湾独立運動に捧げてきた「台独教父(台湾独立のゴッドファーザー)」だ。そして蔡英文総統も、老革命家を慕うひとりだった。
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「俺は死ぬよ」──。
絞り出すような史明のつぶやきに一瞬、会場は水を打ったような静けさに包まれる。思わず嗚咽を漏らす女性もいたが、「だから、台湾の未来は君たちに託す」「台湾は世界に残された最後の植民地だ」「台湾が消滅すれば、世界にとって取り返しのつかない損失になる」「みんなありがとう。台湾独立のために立ち上がってくれて感謝している」と史明が訥々と語りかけるたびに 、温かな雰囲気の中、割れんばかりの拍手が沸き起こった。
老革命家が託した“台湾独立”の夢
「台湾の独立を見届けるまで死ぬわけにはいかない!」が口癖だった史明だが、さすがに95歳を過ぎたころから、体調の衰えが目立ってきた。講演当日も顔色はさえず、傍目にも体調不良なのが読み取れる。人生の終幕を静かに見据えるようになった老革命家は、最後の力を振り絞って、台湾独立という究極の夢を後進たちに託した。
蒋介石の暗殺に失敗し、バナナ輸送船で日本に密航
史明の生涯はとにかく、てんこ盛りの一言に尽きる。
1918年、大地主の御曹司として生を受けた史明は、乳母日傘で何不自由なく育てられるが、早稲田大学留学中、マルクス主義思想に覚醒する。「大日本帝国の植民統治から台湾を解放し、台湾人による台湾を取り戻さなければならない!」と考えるようになった史明は1942年、卒業と同時に中国上海へ渡り、現地の日本人社会で情報工作をする中国共産党のスパイとして暗躍するようになった。
やがて鄧小平にも引き立てられ、人民解放軍幹部への道を歩み始めるが、共産党の腐敗や粛清に絶望して密かに軍営を脱出。日本人の恋人と銃弾の雨をかいくぐりながら国共内戦の戦場を越えて、決死の大陸横断逃避行を繰り広げた。
命からがら舞い戻った台湾では、敗戦で統治権を失った日本と入れ替わるように、中国から侵攻してきた蒋介石と中国国民党が新たな支配者となって恐怖政治を敷いていた。史明は密かに同志を募り、蒋介石の暗殺を企てる。だがすんでのところで計画が露呈し失敗。官憲に追われながら台湾全域で逃亡生活を送ったすえ、バナナ輸送船で日本に密航し、40年の長きにわたって東京で亡命生活を送ることになる。