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バッキー自身が来日を強く希望

 それでも、彼はわたしが知る中でもぶっちぎりで快活な老人だ。阪神時代、銭湯で近所の子どもたちと風呂をともにした愛想の良い男性そのまま。シャープなウィットもちっとも失われていない――そう、現役時代、審判に不満を示すため、(球ではなく)ロジンバッグを頭上に投げ、「あれはボールだ。でも俺のピッチはストライクだ!」と豪語したときのようなウィットだ(最近、フェイスタイムで会話した際に、彼はわたしの髭面を見て「そのクソみたいな髭は剃らなきゃダメだ!」と言っていた)。

バッキー氏の記念品の数々(著者提供)

 いまでも記憶力がよく、日本での思い出を詳細に思い起こし、感情たっぷりに話してくれる。広島に行く途中、チームが姫路に寄って購入するぶどうの大きさや、生きてきた中で一番うまいステーキを食べた店のこと(引退後、牧場を経営していた彼がそう言うのだから、相当な味だったろう)、今も日本に在住するマイク・ソロムコ(1960年から1963年まで阪神タイガースに在籍)を含む、日本でできた友人らの名前。

 そして、バッキーは日本にもう一度戻りたいという強い願望を持っている。日本が恋しいだけでなく、阪神のランディ・メッセンジャー選手が彼の外国人投手球団最多勝記録を塗り替えるとき、直接祝いたいというのだ。

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阪神タイガースのランディ・メッセンジャー選手 ©文藝春秋

 バッキーはメッセンジャーに記録を更新してほしいと考え、この6年間、メッセンジャー選手と連絡を取ってきた。最近、バッキーは誰かに記録が受け継がれるべきだし、ランディがぴったりだと話してくれた。さらには、メッセンジャーの阪神在籍中にタイガースがペナントレース優勝することと、阪神在籍10年目に沢村賞が与えられることも望んでいるという。

バッキー来日を実現するために

 記録が塗り替えられるとき、彼がそこにいられれば理想だろう。しかし、問題はバッキーの健康状態が、彼が飛行機に乗って大阪へ向かうことを難しくしているということである。

 良い知らせは、バッキーは今、外国人OBと日本のファンをつなぐ「一般社団法人 日本プロ野球外国人OB選手会」(以下:JRFPA)の名誉会長をつとめているということ。具体的には、プロモーションイベントや臨時講座、企業イベントや物販、著作権管理を行う団体で、創設者のウィリアム・ブルックスはバッキーを日本に送ることはJRFPAの優先事項だと話す。来日は9月末に予定されており、バッキーが昔のチームメイト(レジェンドである吉田義男や小山正明も含まれる)とプロモーション活動を行うことになっている。もちろん、ブルックスは元記録保持者のバッキーと、新記録保持者のメッセンジャーを引き合わせたいとも考えている。

現役時代のジーン・バッキー氏©文藝春秋

 バッキーと話し、彼の日本やタイガース、甲子園への情熱を伺うたびに、わたしは英語で阪神について執筆活動を始めてよかった、と思う。

 僕の頭の中にはこのようなシナリオが流れている:メッセンジャーはシーズンの終わりまでに日本に帰国し、2勝する。1年の終わりの、あともう1勝という局面で、メッセンジャーは甲子園のマウンドに立ち、読売ジャイアンツと向かい合っている。

 バッキーは群衆の中で、メッセンジャーを応援している。そして、幸運が重なれば、僕もそこにいるだろう。過去に歴史を作ったレジェンドとハイタッチし、新たに歴史を作るレジェントに拍手を送りながら。