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82歳の元阪神投手・バッキーは、「甲子園の土をもう一度踏みたい」と切望している

伝説の外国人選手をフェイスブックでキャッチ

2019/08/05
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 1969年の7月上旬、伝説の外国人投手が大阪で野球のマウンドを踏みしめていた。彼は歴史的な日本プロ野球記録を更新するはずだった。もう1勝すれば、ジーン・バッキーは101勝を果たし、外国人選手最多勝記録の単独保持者になるはずだったのだ(100勝時点では、友人であり、ライバルでもあった南海ホークスのジョー・スタンカとの共同保持だった)。

 しかし、背中の痛みのために、彼はシーズン半ばで第一線を退き、その後グラウンドに戻ってくることはなかった――少なくとも選手としては。2019年現在、同じ男は甲子園に戻り、新しい伝説の外国人投手、ランディ・メッセンジャーが自身の記録を更新する瞬間を見届けるというミッションに挑戦している。

ジーン・バッキー氏©文藝春秋

 残る問題は2つ。肩の治療のために渡米したランディ・メッセンジャーが、日本に帰国することはあるのだろうか? そして、健康状態の悪化のために旅することが難しいバッキーが、来日する方法を見つけることができるのだろうか?

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 幸い、バッキーに手を差し伸べている第三者がいる。あとは、メッセンジャーが2勝しバッキーの100勝に並ぶこと、そして欲を言えば、さらにもう1勝し、バッキーの記録を更新することを祈るのみだ。

沢村賞を受賞した、阪神の外国人選手

 ジーン・バッキーは1960年代に阪神で活躍した選手で、タイガースの投手陣の黄金時代に、素晴らしいシーズンをもたらした人物だ。妻に先立たれ、80代にさしかかったバッキーと、新しく立ち上がったとある団体は、彼を20年ぶりに甲子園球場に帰らせようとしている(バッキーが最後に来日したのは1995年の阪神大震災の翌年だ)。

 わたしがバッキーのことを知ったのは偶然だったが、彼との出会いが阪神にのめりこむようになったきっかけの一つとなった。

 当時、わたしは自身が運営する英語の阪神ニュースブログをレベルアップさせたいと考えていたところで、大胆にも阪神のランディ・メッセンジャー選手が2014年の沢村栄治賞を受賞するのではないか、と予測する記事を書こうと思いついた。そこで、もしかして過去に同賞を受賞した外国人がいるのではないかとひらめいたのだ。

 つかのまのリサーチで、たった一人、ジーン・マーティン・バッキーが1964年に受賞していたことがわかった――喜ばしいことに、バッキーは阪神の選手だったのである!(2016年に広島カープのクリス・ジョンソンが同賞を受賞、バッキーの仲間入りを果たした)

ジャイアンツを相手にノーヒットノーラン

 当時のわたしが知らなかったことで、今知っていることを説明しよう。バッキーは1962年にハワイを拠点とする野球チームオーナー、エンジェル・マエハラの手引きにより阪神の入団テストを受けた。直後に入団、歴代助っ人投手の中でもっとも深い爪痕を残した。彼はほとんど独力でチームを1964年の奇跡的セ・リーグペナントレース優勝にみちびき、1965年に読売ジャイアンツ相手の試合でノーヒットノーランを達成(バッキー以降、阪神の投手が成し遂げていない快挙だ)。阪神に在籍していた7シーズンで100勝を果たした。

阪神-巨人戦でノーヒットノーランを達成したジーン・バッキー氏(兵庫・甲子園) ©時事通信社

 なにはともあれ、1964年の沢村賞受賞について知ってから、バッキーについての好奇心を抑えられなくなっていた。彼はいまどこにいるのだろう?