伝説の選手とフェイスブックで
すぐに彼が引退後、故郷のルイジアナ州ラファイエットに居住し、牧場を経営していたことを突き止めた。さらに、現役のフェイスブックユーザーであることもわかった。フェイスブック上で連絡を取ったところ、彼がインタビューに応じる約束までしてくれたため、わたしの胸は高鳴った。当時のわたしは初心者ブロガーで、タイガースブログも1日30ヒットいけばいいほうだったので、なおさらである。
まるでビデオゲームで新たなステージが解除されたかのような感覚だった。なんだこれは、阪神について英語でブログを書いているからって、阪神OBどころか、伝説の選手たちとやり取りできるってこと?(当時は信じられなかったが、そのとおりだった――これまで引退した選手十数人と接触をし、やり取りしているOBたちは増え続けている)。
すぐにこれはビデオゲームではないし、わたしが主人公でもないことがわかった。バッキーと話している中で、わたしは晩年を過ごすとある男性の人生の詳細と、彼が阪神の選手として日本で過ごした日々をとても大事に思っていることを知ることとなった。彼はいつも阪神時代のチームメイトやコーチ、遠征や愛する妻との日本での生活、そしてOB戦に出場するための、引退後の複数回の日本への旅行について、楽しそうに語るのだった。
最愛の妻の死…そして病気・障害
彼の人生は悲劇から程遠いが、スムーズに進んだわけでもない。まるで見ごたえのある野球の試合で、どのような球が、どんなスピードで、どこからくるのか予測がつかないかのようである。
2011年にバッキーは最愛の妻を腎臓の病気でなくした。2015年にフェイスタイムで会話したとき、彼は妻をどれだけ愛していて、どれだけ恋しく思っていたかを話した。いかに素晴らしいパートナーで、母親で、看護師であったかということ、彼女を思わない日がないこと。当時新婚だったわたしは、彼の境遇に自分の妻との関係を重ね合わせ、心の中で泣いていた。
その上、自身の病気や障害のために、日々の生活にも困難が生じた。膀胱手術を受けたことでしばらく調子が悪かったし、股関節置換手術を2度も受けたことで、歩行が難しくなった。彼はさすがに老いを感じている、と話している(2019年8月には82歳になる)。