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「ここにいると胸が苦しくなる」 楽天・金森栄治コーチが甲子園球場に抱く思いとは

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/07/02

 7月がやってき来た! ヤァ! ヤァ! ヤァ!

 6月の東北楽天ゴールデンイーグルスは交流戦を戦い抜いて10勝8敗で2つの貯金を作った。唯一3連勝した阪神タイガース戦について、どうしても振り返りたい。

 個人的に、子供の頃から阪神タイガースを応援しに訪れていた甲子園球場は思い出深い球場である。この連戦中、ラジオリポートや取材など選手の近くで仕事させていただいた機会は実に刺激的な体験だった。

 カード初戦は倉敷マスカットスタジアムでの試合。勝利に花を添えたのはウィーラー選手! イーグルス史上、助っ人外国人初の「100本塁打」を放って勝利に大きく貢献した。その勢いのまま、イーグルスは敵地・阪神甲子園球場に乗り込んだ。延長戦になった2回戦、10回表にルーキー・辰己涼介選手の決勝タイムリーで勝利し、翌日は4年目・石橋良太選手が8回途中2失点で接戦をものにし3連勝。

 甲子園ヒーローの辰己選手(神戸市出身)、石橋選手(堺市出身)も地元・関西で故郷へ錦を飾ったゲームとなった。

 野球人にとって特別な場所・甲子園球場。選手の中でも高校時代に甲子園に出場した選手、そうでない選手もいるが、練習の時はなぜだか全員が楽しそう。笑顔の選手を勝手に高校球児時代と重ね想像し、何だか延長戦を見ている気分で嬉しくなっていた。

3塁側のベンチで阪神の打撃練習を見つめる金森コーチ ©河内一朗

金森コーチにとっての甲子園球場の存在

 3戦目、1番最初にベンチに姿を現したのは金森栄治コーチだった。

 金森コーチは西武ライオンズ時代の1985年に129試合出場、打率.312、12本塁打という好成績でリーグ優勝に貢献。阪神との日本シリーズでは甲子園の3塁側でプレーし、阪神に移籍してからは甲子園球場のホームである1塁側に腰を据えた。

 金森コーチにとっての甲子園球場の存在を聞かせてもらった。

河内「甲子園とはどんな場所ですか?」

金森コーチ「なんかねぇ、ここにいると胸が苦しくなるんですよ。色んな人の思いが詰まりすぎていて……高校時代もみんなここを目指してやっているし、応援する人も、支えてくれる人の思いも。なにか溢れてくるのを止められないような強い思いを感じるんです」

河内「それはPL学園高校時代、夏の大会に出場してからずっと思っていることですか?」

金森コーチ「プロの世界に入ってから余計に思う。(甲子園球場には)人を集める力があるし、人が集まってくる魅力のある場所。血と汗と涙、あと野球が好きな人の気持ちというか『念』が詰まっている場所ですね」

 一点を見つめながら話してくれた金森コーチの思いが胸に響いた。1988年の阪神時代、甲子園球場でレフトを守っていた金森コーチがラッキーゾーンの内側に転落してしまったシーンは『珍プレー好プレー』の定番で何度も目にしていた場面だが、そんな話を聞かせてもらう隙など1ミリもなかった。

4年目の茂木選手と堀内選手に挟まれる金森コーチ「編集してよっ!」 ©RakutenEagles

 写真を撮らせてもらう時は「男前に撮ってよっ!」、撮らせてもらった後は「ちゃんと編集してよっ!」と、いつも朗らかに応じてくれるのだが、甲子園での金森コーチの眼は違っていた。