2007年の夏の甲子園といえば? と聞かれたらやはり佐賀北vs広陵の決勝戦を思いだす方は多いのではないだろうか。
7回終って4‐0、被安打1に抑えていた広陵のエース野村祐輔が突如乱れる。8回裏に連打を浴び満塁となり、2番井出和和馬への渾身の一球がボールと判定され押し出しで一点を失う。さらに3番副島浩史にはまさかの逆転満塁ホームランを浴び、佐賀北が大逆転で全国制覇を成し遂げた決勝戦だ。高校野球好きが酒場に集まると98年横浜vsPL学園、2000年猛打の智弁和歌山、2006年マー君とハンカチ王子なんて流れから、必ずこの決勝戦の話に辿りつき熱く語りがちになる。しかしながらこの決勝戦のインパクトがあまりにも強いため、この年って他に何があった? と選手、試合などを探り始める。そんな時は必ずこのセリフを放りこむ。
「155キロ、甲子園最速」
この夏、智辯学園戦で仙台育英の佐藤由規投手が叩きだした甲子園最速記録だ。当時、高校BIG3と言われていた大阪桐蔭の中田翔選手、成田の唐川侑己投手は甲子園出場が叶わず、大会前は彼が最も注目の選手と言っても過言ではなかった。初戦では猛打の智辯和歌山から17奪三振を奪い完投勝利、そして迎えた2回戦の智辯学園戦、4回裏2番稲森翔大選手への5球目だった。高めのストレートがキャッチャーミットを下から上へとエグる。
「バシッ!」
スコアボードに155キロの数字が表示されるや甲子園は大歓声につつまれた。未だに破られる事のない甲子園最速記録だ。しかしながらこの試合で仙台育英は敗れたため意外と忘れがちになっている。ただ僕にとっての佐藤由規の印象は甲子園最速男ではない。
由規が歩んだ波乱万丈の野球人生
その年の高校生ドラフト1巡目では大阪桐蔭の中田翔(4球団)を凌ぐヤクルト、楽天、横浜、中日、巨人と5球団から指名があり、東京ヤクルトスワローズが見事引き当てたのだった。2年目で先発ローテーションに入ると3年目の夏には横浜のスレッジとの対戦でストレートが161キロの当時日本人最速を叩き出し二桁勝利もあげ、ヤクルト先発投手陣にはなくてはならない存在に成長した。しかし2011年シーズンは開幕を目前に東日本大震災が故郷の東北地方を襲った。並々ならぬ決意で闘ったシーズンも終盤の9月に肩の違和感を感じ戦線離脱。2012年、花巻東の大谷翔平選手が高校生にして自分と同じ160キロに到達したが、由規投手自身は何もできない年となった。とうとう翌年の4月に右肩関節唇、腱板のクリーニング手術を受けることとなる。
長い長いリハビリの日々は続く。2015年には母校が夏の選手権準優勝、ヤクルトはセ・リーグ制覇、しかし歓喜の輪の中に彼はいない。不安や悔しさ、情けなさ、こんなはずじゃない。様々な感情が心の器からダラダラとただ流れていたんじゃないだろうか。そして追い打ちをかけるように2016年からは育成契約、しかし彼は這い上がる。イースタンで調整し、7月には支配下登録選手に復帰する。7月9日中日戦で先発、なんと1771日ぶりの一軍登板。同24日中日戦でとうとう1786日振りの勝利を手にする。
しかし2018年、6月の楽天戦でまたも右肩への違和感、二軍でのリハビリに専念していたが、とうとう戦力外通告を受ける事になる。球団もチームの功労者としてしかるべきポストを用意する意向だったが本人が現役を希望。そこへ12年越しのラブコールを送ったのが東北楽天ゴールデンイーグルスだった。