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失敗を隠してしまうように……

「恐怖政治」が長い目で見ると良い結果をもたらさない、というのは、個人的には子育てにおいても言えることだと思います。

 私が生まれ育った家庭は少し過激だったというか、少々ハードコアなところがありましたので、まだ幼い頃に誤って食事や飲み物をこぼしてしまうだけでも母親から怒鳴られたり、大ビンタをもらうことが多々ありました。「次は気をつけよう」と子どもながらに思っていても、手をすべらせてしまったり、不注意で失敗するたびにきつく叱られるので、そのうち私は母に対して恐怖を覚えるようになったのです。

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 その結果、私は「失敗」を母に隠すようになりました。私がまだ5歳くらいのときに、母に連れられて行った母の友人宅で、食べていたカップ麺を容器ごと足の上に落としてしまったことがありました。熱湯がかかって水ぶくれができるほどの火傷を負ったにもかかわらず「こぼしたことを知られたらお母さんに怒られてしまう」と思った私は、太ももの上に落ちた麺やスープを払い落とすこともせず、熱さに耐えながら小刻みに体を震わせ、ぽろぽろと涙を流すことしかできなかったのです。

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 私のことを心の底から嫌っていたシーズー犬のメリーちゃんが、プライドを捨てて私の太ももの上にあるラーメンを食べに来たことで事件が明るみになり、結局母には「どうして水ぶくれになるまで黙ってたの!」と激怒され、散々な目に遭ったあの日のことを私は一生忘れません。

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幼少期の恐怖心が人格形成にまで影響

 そんな叱られ方をしていたせいか、私はいつもビクビクしていて、人の顔色を過剰にうかがうような子どもだったように思います。怒鳴り声や大声に対する恐怖心はそのうちなくなるだろうと思っていたのですが、私の予想とは裏腹に、恐怖心は月日が流れて薄れるどころかだんだん増幅され、とうとう大人になっても消えませんでした。

 私の場合は幼少期にダメージを受けたこともあり、人格形成にまで影響が出てしまいましたが、たとえば会社に入りたての新入社員であっても、まだ右も左もわからない中で先輩や上司から怒鳴られたり、感情的に大声を出されたりする「恐怖体験」は、その後の社会人生活に大きく影響するのではないでしょうか。