「叱ること」と「怒ること」
「叱ること」と「怒ること」はそもそもまったく違うわけであって、とりわけビジネスにおいては負の感情を相手にぶつけても事態が改善されることはなく、かえって相手の成長を止めてしまう要因になると思うのです。ましてや、怒られることを極度に恐れた新入社員が、すぐに報告してくれれば何とかなった小さなミスさえ隠すようになった結果、後になって取り返しのつかないクレームが勃発する最悪のケースもこれまで数々見てきました。あれが一番困る。
「怒鳴る」という行為は、相手の思考を停止させて思いのままに支配するには有効な手段かもしれませんが、できることを増やしたり、伸び代を伸ばしたりする効果はほとんど期待できないのです。
組織にとってのゆるやかな自殺
権力者が、苛烈な手段によって人々を弾圧して反対意見を言えないようにする「恐怖政治」は、組織にとって革新的な声を殺し、時代に即さない悪しき慣習を生かすことにもつながるでしょう。私にとってこれは、組織全体の「ゆるやかな自殺」であるように思えます。
恐怖政治と聞くと、フランス革命時にロベスピエール派が反対派を次々に処刑したように、国家など大きな集団の中で行われるとイメージされる方が多いかと思います。しかし、恐怖政治のような統治方法は、家庭や職場でも起こりうることです。力の強い者が、力の弱い者に恐怖心を持たせることで自分の権力を振りかざす組織のあり方は非常に原始的なものであり、個人の発言権を奪うどころか、虐待やパワハラ行為の常態化を肯定しています。
おそらく、日常的に誰かを怒鳴ったり威圧している人はそこまで考えていないケースがほとんどだと思います。しかし、突発的な感情を相手にそのままぶつけてしまうのは、自分にとっても相手にとってもメリットが一つもないどころか事態が悪化してしまう可能性すらあることを、僭越ながら、改めて申し上げたいところです。