7月20日、雨上がり決死隊・宮迫博之とロンドンブーツ1号2号・田村亮の記者会見で急展開を見せた「闇営業」問題。
席上、宮迫は「謝罪会見を希望したが止められた」ことを明かし、所属の吉本興業から「圧力」があったことを主張。これを受け、ダウンタウンの松本人志は、21日の「ワイドナショー」(フジテレビ系)で吉本への不信感を露わにし、波紋を呼んでいる。
事態は吉本興業vs.芸人という図式となりつつあるが、そもそもこの問題の発端となった芸人と反社会勢力との関係については、いまだ語られていない部分が多い。問題の本質は一体どこにあるのか?
『襲撃 中田カウスの1000日戦争』(朝日新聞出版)の著書もあり、闇社会に詳しいノンフィクションライターの西岡研介氏に、芸人と反社との関係について話を聞いた。
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芸事と反社との関係はどう変わっていったか
そもそも芸事と反社との関係は根深いものがあります。江戸時代のころから、「興行」を打つにはヤクザへの挨拶がつきものでした。それは、朝ドラ「わろてんか」のモデルとなった吉本せい氏を主宰者として、1932年に「吉本興業合名会社」を発足してからも変わらなかった。ヤクザのテリトリーで興行を打つ際には必ず、彼らのところに挨拶に出向き、「所場代(ショバダイ)」と呼ばれた“営業権料”を差し出す、という習慣が定着していました。
しかしその後、世の中は変わっていきます。1964年に始まった「暴力団」壊滅を目指す一斉摘発「第一次頂上作戦」をきっかけに、ヤクザと芸能との関係にメスが入ります。そして1992年には暴力団対策法(暴対法)が大きなヤマとなり、さらに2011年に暴力団排除条例(暴排条例)ができたことにより、芸人が反社との関係を続けることはますます厳しくなりました。
2009年に大崎洋・現会長が社長に就任し、岡本昭彦・現社長が支える「大崎―岡本体制」になってからは、「ここで反社との関係を断ち切らんと会社は持たん」という考えで、かなり締め付けを厳しくしました。
そこに噴出したのが2011年の「島田紳助問題」です。暴力団関係者との交際が明るみに出て会見を開き、「自分の中ではセーフと思っていたが、芸能界のルールとしてはアウトだった」という言葉を残して引退したあの問題です。