紳助氏との問題と今回の問題はまったく別もの
でも私は、紳助氏の問題と今回の宮迫・田村亮の問題は、まったく別ものだと感じています。何が違うのか。紳助氏は、相手がヤクザであっても食事などの付き合いはOKで、犯罪行為に関与していなければセーフだと思っていた。ただそれが世間のルールではアウトだと分かったら、即引退を決めました。もちろん紳助氏を擁護するわけではないですけど、その点にウソはなく、抵抗もせず、潔かった。一方の宮迫は当初、「ギャラは受け取っていない」とウソをついた。実際は宮迫は100万円、田村亮は50万円受け取っていたのに隠していた。そこはかなり大きな違いだと思います。
また、宮迫と田村は、相手が反社であるとは気づかなかったと主張しています。一方の紳助氏はヤクザと知りながら付き合っていました。ここも大きな違いですね。
良い悪いは別として、昔の芸人は反社との付き合い方が分かっていました。肌感覚で、ここまでは付き合っていい、ここからはダメというのが分かっていたんです。紳助氏は明るみに出て引退に追い込まれましたが、当時の多くの芸人たちは付き合い方が分かっていた。だから、どこの馬の骨ともわからない有象無象のチンピラとは付き合わなかったんです。
芸人の“素人化”とそのひずみ
最近思うのは、芸人の変質です。芸人が“素人化”していると言ってもいい。以前の芸人はもっとしたたかで、肌感覚でことの良し悪しがわかっていました。「反社の連中をあしらえないようでは芸人ではない。できないんだったらいらんとこに近寄るな」という考え方ですね。大崎―岡本体制の締め付けがきつくなったことにより、耐性がないまま有名になり、そのひずみが出てしまったとしたら皮肉なことですが……。
この問題の落とし所はどうすればいいのか。私が考えることではないですが、コンプライアンスの強化だけで解決する問題ではないでしょうね。芸人や吉本にモラルを求めてどうすんねん、と思います。ただ一つ言えるのは、吉本は今も昔も「興行師」なわけですから、時代の空気、世間の空気を読み間違えてはいけない、ということです。その意味では、宮迫・田村亮も、岡本社長も空気を読めていなかった。宮迫は何でもバレるこの時代に、ウソをついた。一方、岡本社長が宮迫・田村にやったことは、今の時代からすれば明らかに「パワハラ」です。どちらも世間の空気が読めてなかった。結局、読めていたのは松本人志だけだったという。