「僕のような能力でも、何年経とうがいつか、何かお役に立てるかもしれない。引退は考えられない」「本当に申し訳ございませんでした」 

 7月20日、闇営業問題の中心にいた宮迫博之(雨上がり決死隊)と田村亮(ロンドンブーツ1号2号)が都内で謝罪会見を開いた。涙ながらに謝辞の言葉を紡ぎ出した2人だったが、会見中に宮迫が漏らした言葉には芸能界への未練が垣間見られた——。 

宮迫博之(左)と田村亮 ©文藝春秋

会見では吉本と宮迫・田村側の決裂が明らかに

 まさに風雲急を告げるような展開の日々だった。 

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 7月18日に翌日発売の『FRIDAY』で金塊強奪事件犯との酒席写真が掲載されることが判り、「宮迫引退」の噂がメディアに出回るようになる。19日には吉本興業から「今後の宮迫博之とのマネジメントの継続に重大な支障が生じたと判断し、上記決定に至りました」と契約解除が発表される。 

 その翌20日、2人の緊急謝罪会見が開かれたのだ。 

「記者会見は当日、宮迫・田村の連名によるファックスでメディアに通知されました。前日まで吉本興業側は、『会見はない』と断言していただけに、多くのメディアにとっては意外な展開でした。そして会見で明らかになったのは吉本興業と宮迫・田村側が決裂していた事実でした」(スポーツ紙記者) 

 2人は会見で吉本の岡本昭彦社長から「謝罪会見を開くなら全員連帯責任でクビ」と通告されたことを暴露。

「宮迫と田村は謝罪会見を開きたいと吉本興業に訴えたが、岡本社長に聞き入れてもらえなかったと何度も会社側を批判しました。しかし、吉本側にしてみれば、2人が当初『詐欺グループからお金を受取っていない』とウソをついていたので、会見で更なるボロが出るのを懸念した部分もあったはず。宮迫や田村には、安直に言い逃れ出来ると高をくくっていた節が垣間見えましたからね。確かに吉本興業が上手いメディア対応をしていたとはいえませんが、2人が会社批判を繰り広げたことには拭いがたい違和感が残りました」(同前) 

吉本興業の対応を明かした宮迫 ©文藝春秋

紳助氏の引退記者会見 何が違ったのか

 そこで思い出されるのが2011年8月に、同じように緊急会見の形で開かれた島田紳助氏の引退記者会見だ。宮迫のケースと同様に、反社会的勢力(紳助氏の場合は暴力団)との写真が報道され、紳助氏は同日をもって芸能界を引退することを発表した。 

 島田紳助氏と宮迫・田村、両者の会見の違いはその“覚悟”だろう。