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お母さんに負担をかけまいと冷静な”雅子さまはお父さま似”

 小和田家とは家族ぐるみで付き合いのあったある幼なじみは、雅子さまは「長男のようだった」と記憶している。

「雅子さまは『私は妹たちとは性格がちがうの。私がやりたいと思ったことでも、妹たちはやりたくないと二人で反対するものだから、喧嘩になったりもするのよ』と話していました。姉妹ですから喧嘩のひとつやふたつするでしょうが、彼女は、お母さまにいいつけるようなことはしなかったようです。大好きなお母さまに負担をかけてはいけないと冷静に判断するようなところがあったんでしょうね。ご性格は妹さんたちがお母さま似で、雅子さまはお父さま似だそうです」

夏休みヨセミテ国立公園に旅行 二人の妹と 宮内庁提供

 中学も高学年になると思春期の影響からか口数が少なくなった。幼少期にお茶目で活発だった女の子ほどそう見られがちなのだが、急に大人しくなったように見えるために周りはその変化に驚くものだ。雅子さまは、周囲の人たちが漏らす「女性らしくなった」という言葉に、羞(は)じらうことが多くなった。

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 雅子さまはこの頃になると、はっきりとした将来の夢を持つようになっていた。ご両親もこれからの女性としての生き方には確固たるポリシーを持っていた。

ピアノの発表会 宮内庁提供

14歳の雅子さま「社会のために貢献できる人生を送りたい」

 優美子さんは、古くからの友人にこのように語っている。

「これからの時代は、女性の幸せは結婚だけではなく一生続けられる仕事を持つべきだというのが、ご夫婦の考え方でした。特に恒氏はその思いが強く職業は何でも良いけれども社会に貢献できるような人生であって欲しいと願っていたようです。お子様たちも自然にそんなことを考えるようになって、好きな仕事に就けるよう努力して、いつか良い方と結婚すればいいというようなことをご家族で考えていたと思います」

奈良公園にて 宮内庁提供

 どんな家庭でも親の考え方や教育方針は、子どもの成長過程において多少なりとも影響を及ぼすものだろう。雅子さまが「社会に貢献できる人生」として、漠然と思い描いていた職業は「外交官」だった。

 そのときわずかに14歳。そして、31年たった今でも、「社会のために貢献できる人生を送りたい」という気持ちは、お変わりないのだろう。

あま市七宝焼アートヴィレッジ御視察 ©JMPA

雅子妃 悲運と中傷の中で (文春文庫)

友納 尚子

文藝春秋

2008年7月10日 発売