アニメの中の障害者像は2パターン
要約すると、アニメでは必ずと言っていいほど、障害は過去の重要な因縁によって後天的に負ったものであるか(例:「コードギアス」のナナリー・ランペルージ)、異常に突出したチート級の能力の理由付け(例:「未来日記」の平坂黄泉)に使われているかのどちらかなので、もっと普通に何の理由もなく障害者キャラクターが登場するようになってほしいという内容である。その上で、わたしが特に愛好する「まんがタイムきらら」系統5誌出身の作品、通称「きらら系アニメ」の登場人物に障害者枠を設けることを提案した。
もちろんこれは半分悪ふざけで書いたものだ。アニメに現実のポリティカル・コレクトネスを持ち込むべきだなどとは全く思っていない。しかし一方で、この記事は半分本気で、それも祈りに近い気持ちを込めて書いた。それは、アニメではなく、そこに反映される人々の意識、言い換えれば、他ならぬ現実社会が変わって欲しいという切実な思いである。
就活では試験に最終合格しても、面接で不採用
4年前、私は重度障害者の就活の厳しい現実を突きつけられた(詳しくは「重度障害者の民間就活事情」参照)。
当時は障害者枠自体がなかった国家公務員試験を受け、総合職試験に最終合格したが、厚生労働省や文部科学省の官庁訪問の面接に進むと、すべて不合格になった。民間就活では、健常者枠(障害者枠ではない一般採用)は言うに及ばず、障害者枠ですら私のような重度障害者はほとんど相手にもされなかった。
国家総合職では4つの省庁で不採用、国家一般職では3つの省庁で不採用、民間企業は10社〜20社受けて、不採用。そういえば、参議院事務局総合職も最終面接まで進んだが結局落ちた。
国や企業が求めているのは「見た目も普通で全く変わりなく働けるが雇用率には算定できる軽度の内部障害者」か、さもなければ「天才的に突出した特別な能力を持つ障害者」であることをまざまざと感じさせられた。
就職後も突きつけられる厳しい現実
その後、奇跡的に地方自治体の障害者枠に滑り込んだ私だったが、現実は厳しいものだった。断っておくと、私の勤務する自治体は比較的早くから障害者採用に力を入れていた部類で、当然法定雇用率も達成している。しかしその実態は「共生社会」「一億総活躍」といった障害者雇用の理念からは程遠いものだ。