美酒と美食で満洲征服?
寄り道ついでにいえば、秋田県に縁のある人物が文化史には少なくない。第1回芥川賞受賞者の石川達三もそうだし、東京出身だが、秋田の富豪・平野政吉の求めで「秋田の行事」(秋田県立美術館所蔵)を描いた藤田嗣治もそうだ。
前者は、日中戦争初期に『中央公論』に寄せた小説「生きてゐる兵隊」で司法処分を受け、後者は、「アッツ島玉砕」「サイパン島同胞臣節を全うす」などの戦争画を描いた。
また、秋田県民歌で「篤胤信淵 巨人の訓」と謳われている、江戸時代の国学者・平田篤胤と佐藤信淵も捨ておけない。
平田はたいへんユニークな学者で、『霊の真柱』で日本神話にもとづき世界の成り立ちを説明し、『聖書』のアダムとエヴァはイザナギとイザナミの派生であるなどと主張した。平田に学んだ佐藤はさらに進めて、『宇内混同秘策』において、世界の根本である日本は外国を征服すべしとまでぶち上げた。
この佐藤の満洲征服構想はとくに抱腹もので、日本の美酒・美食により、貧しい飲食に悩む満洲の民を懐柔できるのだという。
「彼れ等これまで艸根木皮を食とせしを、此に代るに皇国の糧米を以てし、馬トウ[さんずいに重。乳汁のこと]を飲て宴楽せしを、此に代るに醇良の美酒を以てせば、誰か歓喜して心服せざる者あらんや」(尾藤正英、島崎隆夫校注『安藤昌益 佐藤信淵』岩波書店、1977年。カタカナをひらがなに改めた)。
秋田市内にある平田の墓を見物して、そんなことを久しぶりに思い出した。