たっぷり空気を含んだ、清潔な刺繍入りのクッション。そっと指で弾けばこの上なくいい音を立てそうな、乳白色の陶磁。日ごろよく目にする何気ないモノが、あまりにも清らかに描かれていて、思わず手をのばして触れたくなってしまう。
とことんリアルな絵画作品をつくり上げるアーティスト、伊庭靖子の個展が始まっている。東京都美術館のギャラリーA・B・Cでの、伊庭靖子展「まなざしのあわい」。
光を描き出しているから、いっこうに飽きない
あたかも写真で撮ったかのように見えるイメージを、伊庭靖子は油彩画でさらり描き出す。なんたる技量かと思わせるが、会場で作品と対面していると、どこまでも高精細に写実を極めているわけでもないことに気づく。このところ写真よりも写実的な「スーパーリアリズム」「写実絵画」なるジャンルが注目されているけれど、それらの作品が持つ「実物そっくり感」とは明らかに雰囲気が異なる。
伊庭が求めているのは、どこまで画面を細かく滑らかに仕上げられるかではない。それよりも、モノの質感やたたずまい、まわりの空気のありようを表さんとしているのだ。
ここで疑問がひとつ浮かぶ。たたずまいやら空気などといった、かたちがなく目にも見えないものを、いったいどう表すというのか。伊庭はどうやら、光を描き出すことですべてを満たそうとしている。
とりたてて変哲のない静物が描かれた画面に否応なく観る側の眼が惹きつけられるのは、モノの周囲にたゆたう光のありようのおもしろさゆえだ。丁寧に描き出されたモノと空間のあいだのキワには、天から降ってきてモノにぶつかった光が、粒になってパラパラとこぼれ落ちていくさまが描かれている。いや、実際に光の粒を描いているわけではないけれど、そう思わせるほどにきめ細かい描写だということ。
だから伊庭作品のモノと空間のキワの部分は、いつだってひじょうに動的かつ劇的だ。そんな光にすっぽり包まれているからこそ、描かれたモノの質感や存在感が際立って見えてくるのだろう。
絶えず降り注ぎこの世界をあらしめている光の様態は、刻々と変化していくし、二度と同じ光はない。そうした光の様子を画面に捉えようとしている伊庭の絵画は、たとえ似たようなモチーフばかりが繰り返し描かれているとしても、観ていていっこうに飽きることなどない。