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作家20周年を前に、いま思うこと

――編集者ともあまり相談はしないのですか。

吉田 作品の内容についてはほとんど話さないですね。逆に完成したあとの感想が気になりますね。担当者の感想で、自分が何を書けたのか、何を書けなかったのかは全部分かる。

 でも、相談できないというのは読者だって同じで、数日間、数週間その本と一対一で対峙するわけですよね。とすれば、お互いさまですよ。それに、その分、自分で考えられるわけだし。経験上ですが、一人になるとこんなにいろんなことがクリアになるのか、と驚くことありますからね。やっぱり最終的に一人というのは強いですよ。

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 ただ、以前『悪人』の脚本を李相日さんと共同でやらせてもらった時、あれで相乗効果というものも分かりました。3人だったらもっと面白くなる可能性があるとすら思った。でも、個人的には、それは映画の土台となる脚本だからで、やっぱり小説とは違うような気がする。でも、これからは、こんな風に言っている人間が少数派になっていくんでしょうね。

――前に雑談で、「40代のうちは頑張ろうと思って」とおっしゃっていたのが気になっていたんですが、あれはどういう意味ですか。

 

吉田 河野多惠子さんに言われたんです。亡くなるちょっと前でした。「吉田君、作家というのは40代なのよ」って。「谷崎をごらんなさい」って、すごい名前を出されちゃって(笑)。「爆発ですよ」って。「作家は40代に何が書けるかというので、その後が決まる」みたいなお話をされていたんです。その時に40代になったばかりだったから、じゃあちょっと40代頑張ろうと思ったんです。

――あ、よかった。50歳を過ぎたら手を抜く、ということじゃないんだ(笑)。ところで先ほども言ったブックレットに「〈世界が拓けたと思った瞬間〉ベスト3」というのがあって、1位は文學界新人賞を受賞した瞬間で、2位が韓国のはじめてのサイン会の時に200人以上の人が並んでいるのを見た瞬間。3位が『悪人』の映画公開の初日の打ち上げで大ヒットする、と言われた瞬間とありますね。

吉田 世界が拓けた、イコール自分は運のいい男だなあと思った瞬間ですね(笑)。それで思い出したけれど、実は僕、作家デビューの瞬間をテレビで特集してもらっているんですよ。

 まだ久米宏さんがやっていた「ニュースステーション」という番組で、その年の芥川賞を紹介していて、じゃあ芥川賞の候補ってどういう人がなるんだ、という特集だったんです。たまたま文學界新人賞が特集されることになり、最終候補に残っていた僕も当時住んでいた狭いアパートでインタビューを受けて、ホテルオークラでの選考会の様子も映って、そこで受賞者が決まりましたとなって、それが「最後の息子」だったので、また僕が改めてインタビューを受けて。その放送日が芥川賞の発表の日で「最後の息子」も候補になっていたので、スタジオで結果を待たないかとディレクターさんに誘われたんですけど、行かなくてよかったです。テレビで見ていたら、久米宏さんに「残念ながら吉田さんは選に漏れて、目取真さんが獲りました」みたいなことを言われてました(笑)。でも、特集自体は当選作の「最後の息子」が載った『文學界』が六本木の書店の店頭に並ぶところで終わるんです。「今日、一人の作家が誕生した」ってナレーションと共に。

 こうやって作家前夜というか、作家になる瞬間をテレビの特集で撮ってもらっている人って他にいないと思うんですよね。そういう意味でも、本当に運のいい男だと素直に思います(笑)。だからなんの文句もない、この20年については(笑)。

――作家生活20周年記念みたいなことは、何かやるんですか。

吉田 ちょうど今年の終わりからまた新聞の連載が始まって、それが刊行されるのが20周年の頃でしょうね。また別の世界が開けるような作品を書きたいと思っています。