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小説を書くことって、不安で、孤独なんです。それを引き受けるのが作家の義務だと思います――吉田修一(2)

話題の作家に瀧井朝世さんが90分間みっちりインタビュー 「作家と90分」

2016/05/01

genre : エンタメ, 読書

note

みんなどこかしらマイノリティの部分を持っていて、戦っている

――じゃあ、『怒り』の時は誰が憑依していたんですか。これはどういう風に始まったんでしたっけ。

怒り(上) (中公文庫)

吉田 修一(著)

中央公論新社
2016年1月21日 発売

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怒り(下) (中公文庫)

吉田 修一(著)

中央公論新社
2016年1月21日 発売

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吉田 もう、全員ですよ。だからもう、毎日グッタリでした。新聞連載だったので、タイトルをまず決めなきゃいけない。それで『怒り』というタイトルをつけた瞬間に、作品の中で怒りを書くというよりは、怒りという言葉から出てきた作品がこれです、というイメージがあったように思います、今、時間が経ってから考えてみると。料理の中に材料として怒りというものが入っているというのではなく、怒りというものを見て作った料理があの作品、という感じですね。

――殺人を犯した青年が失踪し、警察が追うというストーリーがある一方で、東京、千葉、沖縄の3か所の人々が登場します。それぞれ、彼らと見知らぬ青年との出会いがある。読者としては、この3人の青年のうちの誰かが犯人なんだろうなと思うわけです。リンゼイさん殺害事件を思い起こしますが、事件や犯人を描くというより、目撃者を描きたかったそうですね。

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吉田 それこそあの事件自体にそこまで興味はなかったんですが、公開捜査のなかで、自分の近しい人が市橋かもしれないとか、公園で出会った人がそうかもしれない、という通報がものすごい数ある、という話を聞いたんです。それでふと、自分の近くにいる人が殺人犯かもしれないと通報する心境ってどうだろうと思って。どういう人が電話しているんだろうか、と。それで、当初はそういう人たちを10人、20人くらい書こうと思ったんです。でも書き始めてみると、うまくいかないんですね。それでどんどん削って、最終的に残ったのがあの3か所の人たちでした。

 たまたまあの3組が残ったんですけれど、でもたぶん、共通していることがあって。さっき言った、それぞれがそれぞれの場所で戦っている人たちだったんですよね。その戦いは、たぶん他の人からは冷ややかに見られることもある戦い。たとえば娘が家出して、風俗で働いていて実家に連れ戻した千葉の父親の戦いって、はたから見たらそんなに真剣に受け取ってもらえないと思うんです。東京ではゲイの青年を出しましたし、沖縄は基地の問題がある。

 そうした問題って、本人が本気で怒れば怒るほど、世間がすーっと引いていくというか。作品の中でも映画の中にも出てきますけれど、そういう風潮があるじゃないですか。本気で怒っている人は、「うわ、この人本気だ」と言って引かれてしまう。あの感じが3組とも同じだったんです。

――何かを主張する時、自分が熱くなればなるほど、周囲が冷めていくような気がします。何かを声高に主張する時って難しいですよね。

吉田 本当に難しいと思う。でも、みんなどこかしらマイノリティの部分を持っていて、戦っているんだとは思うんです。必死に戦っているんだけれど、それがなかなか伝わらない。何も顔を赤くして、声を嗄らしている人だけが必死だとは限らない。

――刑事の言葉で「犯人は怒っている人が愚かに見えるんじゃないでしょうか」というのがあります。これは『悪人』の佳男さんを思い出させました。また、この『怒り』では、大切な人を疑う、疑わない、ということの難しさも描かれていますよね。人を信じるか信じないかの話でもある。

吉田 東京編で「あなたのことを疑っています」と相手に言うのは、信じているから言えると書きました。それは逆もあって、「あなたのことを信じています」と言うのは、疑っているから言うともいえる。それぞれの関係の中での話ですけれど、やっぱり難しいですよね。

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