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大阪桐蔭時代、西谷監督に怒られた“ハイタッチ事件”と“屁こき事件”

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/08/09

 やばいっす……めっちゃ暑いっす。夏バテでコラムもちょっと休んでました。チャリコが早く書いてくれ、とうるさいので、急いで書き上げました! 気がつけば、シーズンも終盤に近づいてきました。8月と言えば、阪神は長期ロードに出て甲子園でほとんど試合をしませんが、代わりに主役となるのが高校球児です。今回は、阪神とは少し離れて、僕の母校・大阪桐蔭、そして恩師のあの人について書きますね。

大阪桐蔭・西谷監督との思い出

 今年は大阪大会の予選で負けてしまって、桐蔭は甲子園に行けないんですが、僕にとって高校3年間は本当に中身の濃い時間でした。何と言っても、西谷監督のもとで野球をさせてもらったことが一番の財産。中学生の時からテレビで見ていた人が実際に目の前にいて、最初はオーラっていうんですかね? めっちゃ感じましたよ。西谷監督はミーティングでも野球に対して、ああしろ、こうしろ、とは言わなくて、褒めたり、怒ったりもしない。基本は“自分で考えろ”というスタンスです。選手の自主性を重んじていて、練習でも自分たちで工夫してやればいい、同じ練習でも工夫すれば全然違うものになるから、と言われてきました。

 ただ、僕たち選手をやる気にさせるのがうまいというか、ミーティングでも終わったら毎回“よっしゃやったろ”となってましたからね。騙されてるわけじゃないですけど、自然と頭に入ってくる言葉を投げかけてくれるんです。まず人間的に成長しないと技術は付いてこない、ということをずっと言われていました。監督に毎日提出する野球ノートもあるんですけど、僕が一番書かれたのは“心の成長”でした。赤文字で何回も書かれたんですけど、今でも印象に残っている言葉ですね。

 例えば、全力疾走という言葉はどこの高校でも大事にしていると思いますが、西谷さんは“日本で一番全力疾走するぞ”という方でした。スタメンで出てる9人が守備位置まで全力で走るのは当たり前なんですけど、桐蔭のボールボーイとか見てたら分かるんですけど、めちゃくちゃ走るの速いんですよ。全力疾走がサポートメンバーにも浸透してるので、絶対にどこにも負けない部分ですね。

大阪桐蔭・西谷監督 ©AFLO

コンバートしてくれた監督への感謝

 滅多に怒ることはないんですが、監督がよく言っていたのは、メンバー外の選手も一致団結しないと絶対に甲子園では勝てない、ということでした。メンバー外の人たちが偵察や練習の手伝いも全部やってくれる。だから、凡退して下向いて帰ってきたりすると「試合出たくても出られない選手もおるんや」って怒られます。あと、試合のことをよく綱引きに例えてました。一方的に引っ張ることはできないけど、我慢して我慢して、最後に一気に引っ張る。野球なら、毎回得点しようとせず、7、8、9回で一気に畳みかけるんや、と。攻守で粘り強い野球をやれとよく言われました。

 でも、今振り返ってみても、桐蔭であれだけ試合に出れるとは思ってませんでした。1年生の時、同級生のティー打撃を見て、レギュラーは無理と確信したんですよ。新入生だけで練習するんですけど、1キロぐらいあるマスコットバットでティーをやるんですけど、周りのやつはインパクトの音が全然違うんですよ。これはえぐいなと。すごいところに来てしまったなと。両親もすでに諦めていて「3年間いろんなこと学んでおいで」としか言われなかったんで。