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“不死身の死球王”村田修一のプロ根性が、今のジャイアンツに必要だ

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/08/11

 夏のうっ憤を晴らすには十分なゲームだった。9日のヤクルト戦。オレンジに染まった東京ドームだけではなく、全国のG党は何度も狂喜乱舞した。坂本が9年ぶりの30本塁打を放てば、バットが湿りがちだった岡本の2打席連続アーチ、勝負強さを凝縮した亀井のサヨナラ打。最大7点のビハインドをひっくり返す劇勝だったが、私のハイライトは主将でも4番でもなければ、神がかった代打でもなかった。5回無死、阿部の打席であの死球王を思い出さずにはいられなかった。

「ボールが怖かったら野球はできない」

 小川が投じたボールを右腕に受けて、歴代4位となる通算150個目の死球。これで背番号10が肩を並べたのが村田修一だった。執拗に懐をえぐられ、何度白球が体を襲っても倒れることなく立ち上がる。躊躇することなく思い切り踏み込み、アーチをかけ続けた男がフラッシュバックした。人間とは思えない村田の強い気持ちと屈強な肉体こそ、リーグVを目指すジャイアンツに今、最も必要なものではないだろうか。

 厳しい内角攻めは強打者の証だが、特にそれが村田には顕著だった。日本人離れした飛距離をたたき出す右打ち。相手投手は徹底してインコースを見せないと勝負にならなかった。巨人元年の2012年の死球は15個、2014年の13個はどちらもリーグ最多。見ているこちらが「またか」と思わず目を覆いたくなるほどだった。それでも、何度体に消えない痛みが刻まれ、頭に残像が残っても恐怖心とは無縁だった。

「ボールが怖かったら野球はできない」が口癖。それどころか驚くことに「避ける習性がないから避けられないんだ」と真顔で言い、実際に体に向かってくる白球に対して逃げることなく真っすぐ左足をステップして平然と受けていた。ドンっと音が聞こえてきそうな正面衝突。そんな感じだった。バッテリーが内外角の出し入れを使おうとしても、インコースを厳しくつけば決まって出塁され、アウトコースが甘く入れば打球はスタンドに消える。これでは投手は白旗だ。

通算150死球の村田修一 ©文藝春秋

岡本がキングになるためには

 8日の中日戦と9日、岡本が放った19~21号はいずれも右方向。もともと逆方向への打撃を得意とするだけに今後、優勝争いが佳境になればなる程、内角攻めはより一層厳しさを増すだろう。その術中にはまって体が開いて力強いスイングができなかったり、ホームベースを広く使われてバットの芯を外されたり。本来のバッティングを狂わされたら、チームが秋に歓喜の瞬間を迎えることは不可能だ。スラッガーの宿命である死球地獄。背番号25の系譜を受け継いだ若き主砲の真価が問われるのはこれからだ。