「how does it feel you」。
日本語に訳すと、“どんな気がする”。

 ボブ・ディランの「Like a Rolling Stone」の一節だ。その言葉をはじめて耳にした時、僕は雷雨に打ち砕かれたかのような衝撃を受けた。

 それは、その夜にはじめてのキャバクラで有頂天となり、ニヤけ顔で椅子にふんぞり返っていた僕に向けて、「自分を見失うなよ」とディランが忠告してくれているような気がしたのだ。

ADVERTISEMENT

 20年前の話だ。

 あの頃は、まだ松井秀喜や清原和博、高橋由伸が東京ドームで躍動し、仁志や清水や川相、そして“クセ者”と呼ばれていた元木大介がいた。

 そんなことを最近になって思い出していた。きっかけは2019年から元木大介が読売ジャイアンツの1軍内野守備兼打撃コーチに復帰したことだ。

33歳で現役引退し、TVタレントになった“クセ者”

 甲子園で通算6本塁打をマークした元木は、ダイエーのドラフト指名を拒否して、ハワイで1年間浪人して入団している。入団当時は圧倒的なホームランバッターとしての期待を受けていたが、1年目に2軍で4本しかホームランが打てなかったことに危機感を感じ、自身がプロ野球界で生き残るため、それまでのプレースタイルを完全に捨て去る。

 その後は武上四郎コーチと右打ちを徹底的に鍛え、川相昌弘という生きた手本から守備を盗み、どのポジションでも守れるユーティリティを身につけると、やがてチームになくてはならない選手となっていく。確かに「元木リタイア」は2月の季語であったし、試合前のベンチから「TVおじゃマンボウ」に出演するバラエティなこともあったが、長嶋監督から「クセ者」という最上の賞賛を得たオンリーワンの存在は、2005年に一軍選手として通用する自信を持ちながら「ジャイアンツが好きだから、入団したときからこのチームでいらないと言われたら辞めようと決めていた」と33歳で現役を引退した。

 道化を演じているようでも本質は見失わず、筋を一本通す。元木はそういう野球選手だと思っていた。

“クセ者”元木大介 ©文藝春秋

 だが、その後の元木は、テレビタレントになった。野球解説の傍らヘキサゴンでおバカな発言を連発し、長縄跳びでアキレス腱を断裂しては「元プロ野球選手かよ」と笑われもした。ラーメン屋の経営も失敗し、「しくじり先生」に出ていたこともあったっけ。

 元木は自身の著書で、プロ野球界ひいては巨人軍という巨大な組織では、一度“タレント”のレッテルを貼られてしまうと、現場に復帰することは困難であるという不文律があることを述べている。そして、それを承知の上で次の言葉を綴っている。

「どんなにバカなことをやっていたとしても、僕は野球選手です。プロ野球の世界に必ず戻りたいし、戻れる自信はあります」

 そんな思いがあることはわかっていたのだ。だからこそ、引退後にバラエティ番組で元木を見るたび、僕は不安な気持ちと共にあの言葉を思い出していた。

“どんな気がする”

ジャイアンツを変えてくれるんじゃないか、という期待

 2018年冬。ついに元木大介がジャイアンツにコーチとして復帰することが発表された。その話を聞いた時、ひょっとしたら2014年以降優勝から遠ざかっているジャイアンツを変えてくれるんじゃないか、という期待を抱かずにはいられなかった。

 2005年に元木が引退して以降、巨人、いや野球界にも、元木的な“クセ者”と呼べる選手は誰も出てきていない。僕らは見てきたのだ。現役時代、ヤクルト古田との高度な読み合いで玄人の野球人たちを唸らせてきた姿を。一番嫌な場所を衝く、しぶとくて、狡獪で、嫌らしいプレーで相手を出し抜く抜群の野球センスを。コーチとして今の選手に教えられる元木だけが持つ“何か”があるような予感がした。それが、あの頃の元木大介のままであるならば。

 14年ぶりにユニフォームをまとった2019年の春季キャンプ。コーチとなった元木はインタビューでこんなことを言っていた。

「強いチームはキャンプに活気がある。見てて下さい、少しずつ続けていきますから」

 その姿にニヤけ顔で椅子にふんぞり返ってる感はまったく感じられなかった。

 元木は続ける。

「選手のためにやるんで、選手中心です。選手のストレスを発散する為に歳の近い僕がコミュニケーションをとっていきたい。僕はコーチだからといってふんぞり返るようなコーチは大嫌いだったんで」

 その言葉を聞いた時、僕は20年ぶりの雷雨に打ち砕かれた。