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「ネットで共感される人ばかり書くのは抵抗がある」——脚本家・岡田惠和が語るドラマづくり

「ネットで共感される人ばかり書くのは抵抗がある」——脚本家・岡田惠和が語るドラマづくり

2019/08/03
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「50代後半〜60代のシナリオライターはツイている」

――いまは、ドラマをスマートフォンやタブレットで観る人も増えています。90年代からドラマを書いていらして、書く上で視聴環境の変化は意識されますか?

岡田 僕がドラマを書き始めたころに比べると、視聴者が「待ってくれない」感じはありますね。◯曜日◯時の放送を心待ちにする、という感覚ではない。いまや全番組を録画できますし、オンデマンドもあり、番組を見逃すことがなくなりました。2000年代になって、アメリカや韓国のドラマが入ってきて、まとめて観る気持ち良さを皆が知ってしまったという影響もあると思います。ただ、ラッキーなことに、僕はもともと展開を次週まで引っ張る構成のドラマを書いてこなかった (笑)。なので、時代に合わせて、書き方を変えなければいけないということはなかったですね。

 

――なるほど。

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岡田 僕の世代、50代後半〜60代のシナリオライターはツイていると思います。デビューした30歳くらいのころは、視聴者と親和性がありました。若い人が観るドラマは人気が出たし、脚本家が視聴者の代弁者でいられました。やがてベテランになると視聴者と乖離しはじめて、「オワコン」と言われるものなんですが(笑)、日本の人口分布上、僕らが年をとるのと同時に想定視聴者の年齢も上がっていった。いまのテレビは、年配の人に向けて作らないと視聴率がとれません。50歳を過ぎて、「最後から二番目の恋」のようなことができたというのは幸運でしたね。プロ野球のピッチャーで言うと、中3日でずっと投げ続けている。抑えや中継ぎに行かなくて済んでいるのはありがたいことですよね。

「エゴサーチ、大抵していると思いますよ(笑)」

――ネットやSNSの普及が、ドラマ作りに影響することはありますか?

岡田 意識して変えていく部分と抵抗する部分があるかもしれません。SNSを見ると、すごく倫理的で、正しい人が支持される空気があります。でも、本来、ドラマや物語はそれだけではなかったはずです。フィクションだからこそ、間違った人も描けました。意識はしますが、そこに引きずられてネットで共感される人ばかり書いてしまうと、自分のドラマではなくなってしまうので、微妙な抵抗は示しています。「そして、生きる」も、けっして共感100%の選択を登場人物はしませんし、人生のリアルを追求する限り、そこはギリギリのせめぎ合いですね。

生田瞳子(有村架純)は、気仙沼のボランティアで清水清隆(坂口健太郎)と出会う。

——SNSでエゴサーチ、作品の評判を調べることもあるのですか?

岡田 「しません」という人がいますけど、大抵していると思いますよ(笑)。「ひよっこ」を書いているとき、放送時間中の投稿が一番面白かったです。ここで引っかかるのか、こういうときイラっとするのか、など、視聴者の瞬時のリアルな反応を知ることができました。これまでのテレビ作りでは、味わえなかったこと。舞台の客席の反応のようなものですよね。