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僕は今度こそ釧路市民球場でファイターズを見ようと決めたんだ

文春野球コラム ペナントレース2019

 ファイターズ恒例の道東シリーズ、今年は何と釧路市民球場で「2連戦」が組まれた。釧路でプロ野球公式戦の2連戦が組まれるのは1992年9月5、6日の近鉄戦以来、27年ぶりらしい。同球場は2017年7月、屋外球場としては道内初の全面人工芝グラウンドに生まれ変わり、こけら落ちしでロッテ戦が行われたんだが、なぜか「プロ野球・西武ライオンズの本拠地と同じ本格プロ仕様の人工芝」が売りだった。そういわれてみれば緑茶っぽい色合いに見覚えがある。これはいずれ西武と試合することになったら「ここ、妙に落ち着くなぁ」と普段着のびのび野球やられてしまって厄介じゃないのかな~と想像していた。

 で、今しがた、その初戦(西武22回戦)が終わったところだが、普段着のびのび野球に2対8の完敗だ。敵がエース格のニールを立ててきたから嫌だなぁとは思っていた。が、この試合に関しては一も二もなく「守乱」だ。エラーがことごとく失点に結びついた。ファイターズ先発のロドリゲスは悪くない投球内容だったが、初回のけん制悪送球、5回の守備のボーンヘッド(1死1、2塁で森友哉の投ゴロをなぜかサードに送球、セカンドに投げればゲッツーチェンジだったところを2死1、2塁とランナーを残し、中村剛也に勝ち越しタイムリーを食らう)など自らのミスにかんしゃくを起こしていた。

来日2年目のロドリゲス ©時事通信社

 僕は残念でたまらない。5回裏、中田翔がゲッツーでチャンスをふいにしても釧路のファンは温かい。ゲッツー取れるところでミスして、こっちがゲッツー食らう5回表裏なんて最悪なんだけど、やっぱりアレだな、滅多に見られない生のプロ野球を楽しもうとしている。中田翔はやっと故障から戻ったスターなんだから釧路で大爆発してほしかったが、この日、ゲッツー2つだった。ホントになぁ、内野手は悪送球ばっかりするし、この日を待っててくれたファイターズファンに申し訳ないよ。

 あぁ、そういえばダルビッシュ有の初黒星もこの球場だったなぁ、まだ土のグラウンドだった、風が強くて18歳のダルビッシュは投げにくそうだった。2005年7月30日オリックス戦か。投げ合った相手はのちにファイターズの投手コーチになる吉井理人(現・ロッテ)だった。釧路には思い出があるなぁ。と考えたところで「?」が浮かんだ。

 僕はまだ釧路市民球場でファイターズを見たことがない。なぜだろうと自問自答して、忘れかけていた断片に思い当たる。そうするとまた次の断片を思い出す。矢も楯もたまらず、仕事部屋に飛び込んで机に向かった。原稿のメモ書きをつくっていて、自分がササッと走り書きした文字にギョッとする。

 オレは釧路を捨てる。

 あぁ、自分はこんなことをずっと堪(こら)えていたんかと笑ってしまった。いい歳のおっさんがである。わんわん泣きながら「オレは釧路を捨てる」と誓った日のことをちょっときつくて思い出せないでいたんだ。

道内初の全面人工芝グラウンドが売りの釧路市民球場

釧路で過ごした幼少期の思い出

 あのときは僕は子どもだ。小学校3年生だ。和歌山市の小学校だ。頭に来たんだ。小学2年の夏休みに釧路から和歌山へ引っ越した。父が証券会社勤務で転勤が多かったんだ。釧路は幼稚園の年長組から小学2年まで過ごした。釧路にいる間に下の妹が生まれた。北海道の広大な野原をイメージして「ひろの」という名前がついた。

 僕はね、本当に大好きだったんだ。通っていたのは柏木小学校。春採湖畔に校庭があって、冬は湖面が凍ってスケートができた。それどころか校庭に水を撒いて、凍らせて学校リンクをつくるんだよ。信じられる? カッコいいよ。秋の運動会の他に真冬は全校でスケート運動会をやるんだ。僕は今でもときどき夢に見る。あんなに寒くて、あんなにきれいなところに住んだことがない。

 冬はアノラックを着て学校に行く。路面がかちんかちんに凍るくらい寒いのにあんまり雪は降らないんだ。雪は粉雪。毛糸の手袋の上にふわっと降りてきて結晶をきらきら見せる。春は一面たんぽぽが咲いて景色が黄色くなるんだよ。僕んちは高台にあったから一面のたんぽぽの坂道を下っていく。坂の下に小学校、その向こうに春採湖。今は家がいっぱい建っちゃったけどね。柏木小学校も廃校になっちゃったけどね。

 だから釧路でのんびり育ったんだよ。和歌山に越してカルチャーショックだった。夏休みに転校して、経験したことのない暑さだった。妹も僕もあせもをこしらえてシッカロールをぱたぱたされた。2学期に学校へ行くと、みんな子どもなのに真っ黒に日焼けしてるんだ。で、みんな関西弁だった。僕はうまくしゃべれないんだ。もともと口がまわらないほうで、その上「だべさ」って言ったらみんなに笑われた。それであんまりしゃべらないことにしたんだ。で、いつも釧路に帰りたいって思ってた。釧路なら僕がうまくしゃべれなくてもみんな笑わない。

 図書館の坂道を下った花時計とか、丸三鶴屋デパートとか、霧がほわ~っと来る感じとか、釧路のことを思い出してたんだ。で、学校では口がついていかないからすぐケンカになった。笑われてバカにされたら頭に来るからやり返す。それでね、あるとき帰りのホームルームでとっちめられたんだよ。僕は立たされた。担任の女の先生は「あなた学校になじまないでもめごとばっかり起こすじゃない」と言った。僕は「はい……」と言った。先生は「あなたそんなんだったら友達ひとりもいないでしょ」と言った。僕はかちんと来て「います」と答えた。先生は「いるの? 誰なの? 言ってごらんなさい」と言うから昨日、U君という子と遊んだから「U君です……」と答えた。そうしたら先生がU君に聞いたんだよ、「U君、あなた友達なの?」、U君はくぐもった声で「友達じゃありません……」と答えた。で、先生は僕に言う。「ほらあなた、友達いないじゃない」。