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あの日あの時甲子園で投げていたら……玉井大翔のストーリーはどうなっていたか

文春野球コラム ペナントレース2019

2019/08/14

 早いもので8月ももう半ば。プロ野球のペナントレースもたけなわですが、夏の甲子園も気になる今日この頃です。北海道の代表2校は残念ながらどちらも既に敗退してしまいましたが、よく頑張りました!

 高校野球って面白いなあと思っているのが、たとえば大船渡高校・佐々木朗希投手のような、プロ入りを当然の前提として語られる選手と、この夏を終えたらもう野球はしない選手とが、同じ場所に立って試合をしているということです。そして、後者の選手ばかりの高校が甲子園で勝ち進んだり、佐々木投手やかつての大谷翔平が最後の夏に涙を飲んだり、そんなことも普通に起こってるんですよね。

玉井大翔、旭川実業高校3年の夏

 元高校球児たちの集団であるプロ野球選手ですが、皆が皆甲子園に行けた訳ではないので、甲子園経験者はやっぱりちょっといばってみせたりするものであるようです。代表校が決まり出す頃になると、道新スポーツ「ハム番24時」なんかでよくそういう様子が紹介されるんですね。俺は甲子園行ってるからねー、やーい羨ましいだろー、みたいなことを言う奴は毎年必ずいる模様。子供かっ。

 手元に記事の現物がないので正確なことが言えないのですが、今年は玉井大翔がそれをやったらしいんです。彼は旭川実業高校3年の夏に甲子園へ行っています。ただし、「出場はしたけど自分は甲子園で投げてないじゃないか」ということを言い返されもしたらしく。

 そうなんです。9年前の甲子園、旭川実業は佐賀学園と対戦して1―5で敗れ、1回戦敗退となりました。旭川実業は先発の鈴木駿平投手が5回途中まで投げて、成瀬功亮投手(現在ジャイアンツのアカデミーコーチです)がリリーフ。そのまま最後まで成瀬投手が投げています。三番手の立場だった玉井大翔に登板機会はなかったのでした。

 その後は、東京農業大学北海道オホーツク、新日鉄住金かずさマジックと進んで、2016年のドラフト会議でファイターズから8位指名を受け、プロ3年目の今年は8月11時点で既に去年を上回る45試合に登板しています。高校、大学、社会人、そしてプロと、着実に、そして順調に野球人生を歩んできているように見える訳なのですが。

高校時代、三番手の立場だった玉井大翔 ©時事通信社

高校卒業時に迷った進路

 実は迷ったことがあるというんですね。先日、STVの試合中継で、玉井大翔がなりたかった職業は何かというクイズがありました。答えは「消防士」で、放送席では「今は投手として火消しをしていますね」なんてな話でまとめていたのですけれども、子供の漠然とした憧れというようなものではなく、高校卒業時に現実的な進路として選択肢に入れていた訳です。大学へ進んで野球を続けるか、野球をやめて消防士を目指すか。

 着実で順調な野球人生に見えると言いましたが、それはあくまでも他人が経歴の文字だけを追ってみた時の話。「週刊ベースボール」2018年11月26日号、連載記事「ヒューマンドキュメント野球浪漫」の、玉井大翔本人が振り返るプロ入りまでの歩みは我慢の連続です。高校時代、公式戦で投げたのは2年生の秋の大会が最後。甲子園で投げられなかった、だけじゃなかったんです。そのずっと前から、彼は試合のマウンドに立てないでいたんです。

 そんな三番手の投手が、もしも最初で最後の甲子園で、結果的に高校最後となった試合で、マウンドに立つことができていたとしたら。

《あの日に甲子園で投げていたら、高校できっと野球をやめていたと思います》

 というのが本人の述懐なのです。