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ファイターズ・吉川光夫の不器用なルーティンを見て思う、「応援する」ことの不思議さ

文春野球コラム ペナントレース2019

 今日は吉川光夫がファイターズ復帰後、2度目の先発を任された夜だ。7月30日、楽天16回戦。負けてしまった。吉川は4回、82球投げて被安打3、失点2の敗戦投手。下水流昂に移籍後初の2ランを喫してしまった。これで0勝2敗。まぁ、楽天の弓削隼人が被安打2の初勝利&初完封を飾ったから、今日は1点取られてしまえば負けだった。ファイターズはノーチャンスだ。

 試合が終わって何がいちばん印象に残ってるかというと、西川遥輝、中島卓也の貴重な2本のヒットではない。好リリーフを演じたロドリゲスのツーシームでもない。もちろん相手方の弓削のピッチングや下水流のホームランでもない。

 吉川光夫の不器用なルーティンなのだ。

 僕は理由がわからないのだが、吉川光夫がマウンドに立つと目がクギ付けになる。その威力満点のストレートに魅せられているからでもあるが、実はそれ以上に投球前の所作に見入ってしまう。

吉川光夫がマウンドに立つと目がクギ付けになる ©時事通信社

打者1人迎えるごとに繰り返すルーティン

 吉川は打者を迎える前に小さく屈伸を入れる。屈伸というより(飛び上がっていないのだが)感覚的にはジャンプを入れてるのかもしれない。グラブをセットしたみたいに持って、軽くジャンプ。あれはリセットしてるのだと思う。

 高校野球でピンチの場面、伝令がマウンドに走り、監督さんの指示を伝える。で、たまに伝令とバッテリー、集まった内野手全員でぴょんとジャンプすることがあるじゃないか。身体をリラックスさせる。状況を整理し、チーム方針がはっきりしたのだから、ピンチに焦る気持ちはいったんリセット。そのためのぴょん。

 その不器用なルーティンを律儀というのか生真面目というのか、あるいは強迫神経的にというのか、打者1人迎えるごとに繰り返すところが僕にはたまらない。高校野球のナインだって、ぴょんはピンチの場面しかやらない。吉川は僕の心の深いところまで届いてくるのだ。あれは惹きつけられる。自分が自分でもどうにもならない人の「信仰みたいなもの」といったらいいか。

 吉川はノーコン病でキャリアを失いかけた投手だ。高卒ルーキーでいきなり4勝、その後、鳴かず飛ばずの時期を過ごす。ストライクが入らない。あれもイップスのひとつだったんだと思う。読者はストライクの入らない投手のみじめさを知っているだろうか。その切なる「信仰みたいなもの」の切れっ端を見つめたことがあるだろうか。彼らはあらゆることを試してみるのだ。グラウンドの白線をまたぐ足。呼吸法。フォームの変更。投球板を踏む位置。マウンドの掘れた穴の確認。スパイクのヒモの結び直し。ロジンバッグの粉まぶし。帽子のひさしの角度調整。それらあらゆる努力が突然の乱調でご破算になる。突如、ストライクが入らなくなって自分でもどうにもならない。

 僕はどうしようもなく好きなのだ。ストライクの入らない投手というものが。あるいはストライクの入らない恐怖と戦っている投手が。それは僕自身の記憶の古層とつながっている。例えば小学生のときの自分だ。2年生くらいの頃、通学のとき腕組みしながら歩くクセがついて2か月直らなかったことがある。今日はダメだやめようと思っても、腕組みしたくてたまらなくなる。腕組みしないと落ち着かない。一応、クセが直ってからもふっと腕組みしたい衝動にかられた。あんまり深く考えないようにしてそのうち平気になったのだが、あれはどうにもならなかった。