「Number」983号を読んでいたら、菊池雄星のこんな言葉に出くわしました。
《僕にとってプロ野球選手になるとかメジャーリーガーになるというのは結果であって、僕は甲子園しか見ていませんでした。高校のとき、メジャーと口にしたのも、メジャーを目指せる選手になれば、甲子園でも勝てると思っていましたから》
まさかそんな「棒ほど願って針ほど叶う」みたいなことだったなんて。彼ほどの選手にとってさえ、そこまでも特別なものだった夏の甲子園。ましてや、決して甲子園の常連でもなければプロ選手を続々と輩出しているというのでもない高校の、しかもエースではない投手にとって、どれほどの大きな舞台であったかは想像に難くありません。
そこで投げたことを有終の美として、野球をやめてもいいと思うくらいに。
一般論としては非常によく判る、いかにもありそうなことだと思われる訳でありますが、しかし玉井大翔という特定の投手についてのこととなると、話は違ってきます。
あの日あの時あの場所で君が投げていたなら
2010年8月9日、もしも成瀬投手も打ち込まれて、彼に登板機会が巡ってきていたらどうだったのでしょう。試合結果には関係なく、夢の舞台に立てたということそのものを達成感として、玉井少年はグローブを置き消防士を目指していたのでありましょうか。あの日あの時あの場所で君が投げていたなら、僕等はいつまでも見知らぬ同士のままだったのですか。
すみません、いきなり「ラブ・ストーリーは突然に」です。現在のファイターズブルペンにおける玉井大翔は、ファンにとってはほんと恋人みたいなもんなのです。特に威力を発揮するのはピンチの火消し。プロ3年目にして堂々の投げっぷりです。すっかり頼もしくなってくれて、あなたに会えて本当によかった! 嬉しくて言葉にできない!(いやその別に小田和正特集をしたい訳ではありませんっ)その恋人ともしかしたら出会えなかったかもしれないというのは、結構重大なことなのですよ。
彼は佐呂間町出身で、小学6年生の時に北海道へ移転してきたファイターズのことは、指名される前からずっと好きだったそうです。もしも高校で野球をやめていたら、たとえば日本シリーズの時などの、札幌ドームの入場列やパブリックビューイング会場でインタビューマイクを向けられるファンの中に、「元高校球児で甲子園出場経験もある玉井大翔さん(お仕事は消防士)」がいたりしたのでしょうか。
こんなさりげない運命の分かれ道が、そこらじゅうに隠れている。それが夏の甲子園というものなのかもしれません。
あの日、あの時、あの試合で。投げていたら。投げていなかったら。打席に立っていたら。立たなかったとしたら。
この大会、今日、今この時にも。
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