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人文系の知識は「役に立つ」はずなのに……

 A君とB君に共通する特徴は、ぶっちゃけて言えば「知識はあるが論文が書けない」ことと、現代資本主義社会の基準で評価して「どんくさい」ことだ。適当な水準で妥協して論文を量産することができず、加えて自分の研究内容を俗っぽくアレンジしてメディアに売り込むことも、手練手管を使ってコネを広げてアカデミックな就職先を探すことも得意ではない。はっきり言って、研究以外に大量の雑務をこなさなくてはならない大学教員としての適性は高くないタイプである。

 だが、私はA君やB君について、現在の彼らの年収や職業が妥当な処遇であるとも思えない。なにより、彼らの知識や能力が世間でまったく無用なものだとも思えない。事実として、私は原稿を執筆する際に彼らの助言や手伝いを必要とすることが多々あり(そういうときは自腹なり出版社の経費なりで、然るべき対価を払うようにしている)、はっきり言って彼らの知識は「役に立って」いるのだ。

 先日、新元号の「令和」が決まった際、メディアでは古文・漢文についての不正確な説明や、言葉足らずな指摘が続出した。例えば「令和」の令について、「命令の令」だからダメだという浅薄な批判はあったが、令を使役の助動詞として漢文読みしたときに「和せしむ」と解釈できることへの違和感を示した報道は、私見ではほとんどなかったように思う(「和せしむ」の主語が国家であれ天皇であれ、あまり民主主義的な意味には取れないのだが)。

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©iStock.com

 ほかにも、社会における人文系の知識の必要性を感じる局面は多々ある。インバウンドによって外国人観光客が増加するなかで、中国の春節やイスラム教のハラールフード(イスラム法のうえで食べてよい食物)についてのメディアの説明は非常にいい加減だし、地方自治体が国際交流イベントなどの際に出す当該国の説明文が間違いだらけである例も多い。一部の歴史番組や歴史関連書籍が、デマを流している自覚なくメチャクチャな情報を発信する例も枚挙にいとまがない。

 これらはいずれも、街でコンビニ店員やガードマンとして働いている人文系の大学院出身者に2万円を支払い、1時間ほどでザッとチェックしてもらって意見出しをしてもらうだけで、大幅なクオリティの改善が期待できる分野だ。しかし、実際はそのようなことはなされないのである。

 現在の日本で「役に立たない学問」を研究する行為は、人生を棒に振ることと同義になってはいないか? 考えれば考えるほど暗澹たる気持ちになってしまう。

2019年上半期 いいね!部門 BEST5

1位:世界遺産のために猫を殺すのか――奄美大島「猫3000匹殺処分計画」の波紋 #1
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2位:校則がないからこそ、教師と生徒は対等に話し合うことができる――西郷孝彦校長インタビュー
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3位:富士通などのSIerの惨状を見ていると、太平洋戦争で負けた大日本帝国を思い出す
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4位:叱らない!教えない!でも子どもは育つ。大切なのは「ふざけ」「いたずら」「ずる」「脱線」
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5位:「役に立たない学問」を学んでしまった人文系“ワープア博士”を救うには……?
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