節度が一切ない指摘がSNSに盛んに投稿されている
だが、今回の件では、節度が一切ない指摘がSNSに盛んに投稿されている。酷いものになると、「もうすぐ出るらしいあの本に比べれば、これでもましな方なのかもしれません」「舛添ヒトラー本予約。迎撃体制を整えた」と、嫌みにも私の本を念頭に置いて下劣なコメントを書く者もいる。
また、参考文献に最新のヒトラー研究が欠落しているという、首を傾げたくなる批判が展開されている。これについては、自分の著書に関連する文献を著者が必要に応じて記載すればよいのであって、氏の本は「ヒトラー最新研究案内」でも「最新資料によるヒトラー」でもない。ドイツ文学者から見たヒトラーであるから、その関連の参考文献を掲げれば問題はない。私も、拙著の参考文献欄にすべてのヒトラー関連文献を網羅しているわけではないし、政治学者の立場から選べば、歴史学者とはまた違った取り上げ方もするのである。
ところが、これらの点について指摘して、氏の本をまったく価値がないというような批判をしたり、氏の人格攻撃とも読める発言をしている者がいる。自分があたかもヒトラー研究の世界最高峰で、ヒトラーについて書いた本を、神のごとく異端審問するといった鼻持ちならない上から目線の攻撃である。親切にミスを指摘するのではなく、このような誹謗中傷を展開して自分の学識を誇るサディスティックな風潮は不快である。
「ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」
間違い探しをして喜んでいる連中は、一方で、この本が発する大きなメッセージを見逃している。まず、この本のサブタイトルにある「ドイツ国民はなぜ独裁者に熱狂したのか」である。
当時の世界で最も民主的な憲法を持ったワイマール共和国で、ドイツ国民が民主的な選挙でナチスを第1党に押し上げたのはなぜか。それは、過酷なヴェルサイユ条約、失業とハイパーインフレなどによる生活苦境で国民の不満が高まり、希代のデマゴーグ、ヒトラーに期待を抱いたからである。
そして、ヒトラーは1933年に政権を獲得すると、わずか3年間で600万人いた失業者を完全雇用レベルにまで激減させた。そして、労働者のための社会福祉政策、レジャーの充実、健康管理など、至れり尽くせりで、ユダヤ人迫害に無関心でいれば、ナチス政権を称賛する国民が増えるのも当然である。一方で、プロパガンダに全力をあげた側面やゲシュタポなどの恐怖による反対派の弾圧も忘れてはならない。
以上のような点については、拙著でも解説しているが、池内氏はドイツ文学者ならではの色彩豊かなエピソードを交えながら記述している。ヒトラー本を初めて手に取る読者にもスッと頭に入るに違いない。
そして、私が教えられた点もある。一つは、ドイツに渡った日本人写真家、名取洋之助(1910~1962)の『ドイツ・1936年』という写真集についての言及である。当時、外国人写真家は、ドイツ国内で自由に撮影することは困難だった。ナチスが好む通りの「真のドイツ」を撮ることを義務づけられる。
名取はナチスの指示通りに撮影しながらも、その危険性を感じ取っていたに違いない――池内氏は、写真に映りこむドイツの地方の町で暮らす人々の不自然な民族衣装や強ばった表情から、そう指摘する。そして、「後世へサインを送るようにして」(70 p)、ナチスに都合の悪い写真を撮り溜めた名取のことを高く評価している(写真が公表されたのは死後40年余りたってのこと)。
また、ナチス式選挙に関して引用された南ドイツのメスキルヒという人口4500人の町についての言及も興味深い。この町はカトリックの力が強く、カトリック政党である中央党がヒトラーの政権獲得前後までナチ党よりも得票が多かった。熱狂的に支持されたナチスといえども、地方都市に目を向ければ、ナチ党が第1党を取れなかったドイツの町もあったのである。
そのためヒトラーは政権をとると、全ドイツ社会のナチスへの一元化(グライヒシャルトゥング)を強制的に図った。ナチスは「何やかや理由をつけて市の職員を追い出し、古参党員から順にポストをあてがっていく」(180p)。一方で、「時流に敏感な小市民タイプ」は「小狡(こずる)く、小さな権力者にすり寄っていく」(同)。かくして、同市もまたたく間にナチス一党のみの運営になった。