それでも林育良の目に映る蔡英文の本質は、驚くほど変わらないという。
「彼女に接した誰もが、もったいぶった態度や演技じみた点が少しもないことに気付くはず。カメラマンとしてはむしろ『こう撮ってほしい』という好みがあるほうがイメージも作れるし、撮りやすい。でも彼女は昔から自分を飾ることに興味がなくありのままだから、今後も“難しい素材”であり続けるだろうね」
そして移動中は、どれだけ多くのSPや秘書に囲まれても資料の入ったカバンを自分で持つという。「自分でできることは自分でするというシンプルな考えの持ち主で、それは総統になっても同じ」と林。
「あなたの作品から台湾の一面を知ってくれれば」
『写真─記録─劇場』と題した林育良の個展では、約40点の作品が展示されている。といっても蔡英文の表情を大写ししたストレートフォトを並べるのではなく、訪問、激励、収録、視察、臨席といった彼女の公務の一端を独特のアングルで切り取り、台湾総統の立場や台湾という国の矛盾を浮かび上がらせていく趣向が面白い。
来場者自身が作品を通じて自分が総統になったような錯覚を覚えたり、「投票」で擬似的に台湾の政治に関わったりする仕掛けも施されている。
蔡英文は個展の開催を聞いて大いに喜び、「私は立場上、東京へ駆け付けることができないけれど、多くの人があなたの作品を通して台湾の一面を知ってくれれば嬉しい」と語ったという。林も「総統というとてもセンシティブな主題だけに、台湾で同じ展覧会を開くのは難しい。いろいろなレッテルが貼られ、企画意図が曲解されかねないからね。むしろ台湾に対してフラットな立場でいられる日本人に、タピオカや小籠包だけではない台湾を感じてもらえたら」と期待を込める。
「“難しい素材”を撮り続けていきたいね」
2015年に林の母親が急逝した。蔡英文は2度目の挑戦となる総統選の合間を縫って林宅へ弔問に訪れ、会葬者が見守る中、黙って彼をハグし続けたという。
「突然のことでドギマギしたけれど、自分の中で何ともいえない絆というか、いま振り返れば、一緒に戦う同志のような感情が芽生えた瞬間だった。台湾初の女性元首にもいずれ総統府を去る時が来る。でも僕は可能な限り、蔡英文という“難しい素材”を撮り続けていきたいね」