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 国家元首である総統の行動には当然ながら、安全確保が何よりも優先される。専属カメラマンであっても、警備優先のため立ち位置や撮影時間が制限されることも多い。

「それでもひとたびファインダーを覗けば、そこにあるのは私と蔡英文だけの濃密な世界。撮影の中身や結果に注文がつけられたことは一度もなく、彼女から全幅の信頼を置かれている有り難さを噛み締めているよ」

テレビ番組の収録に臨む蔡英文総統。ホスト役たちの鮮やかな色彩と、ゲストの控えめな色彩が好対照 ©林育良

クシャクシャのお札を差し出され……

 最も忘れがたいのは2011年、台湾南部の廟(びょう)を参拝したときの光景という。翌年の総統選出馬を決め(※このときは落選)、蔡英文は各地の廟を訪ねて必勝祈願していた。

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「ある廟で大勢の村人たちが、『選挙費用の足しにしておくれ』と言いながら、クシャクシャになった100元(当時のレートで約300円)札を競うように蔡英文へ差し出したんだ。日に焼けたひびだらけの手でね。日本なら、見栄えの悪いシワシワな紙幣をむき出しで渡すなんて顰蹙モノでしょ? ただ、田舎に住む年配の台湾人には、すぐに取り出しやすいよう紙幣をポケットや腰巻きに突っ込んでおく習慣がある。決して悪気はないんだ」

 厳しい生活環境下にある地方の村人たちにとって、1枚の100元札がどれだけ貴重なものかを、田舎町で育った林育良も実感している。

「蔡英文もそのことをよくわかっていたから、ある老婆から300元を差し出されたときはびっくりして感極まりながら『ありがとう、本当にありがとう! 私は100元だけいただくね。でも200元はお返しするから、おいしいものでも食べて!』と言って、そっと老婆の手に2枚を返したんだよ」

中部・台中市の街角で選挙の応援演説に立つ蔡英文総統。市民の柔らかな表情から、蔡英文の人柄が伝わる ©林育良

積極的に市民の中へ入っていくように

 資産家の令嬢に生まれ、台湾大学や英の名門大に学び、国立大学教授から高級官僚、閣僚を経て政治家となった蔡英文には、常に「学者然としてどこか冷たい」「近寄りがたい」というイメージが付きまとっていた。

 パフォーマンス下手で口数が少なく、シャイな性格も誤解を与えやすい一因だが、林は「彼女にもこの廟での一件は大きなインパクトを与えたはず。それからは積極的に市民の中へ入っていき、蔡英文自身が自ら変わっていこうとするのをその表情からファインダー越しに感じるようになった」と述懐する。