1ページ目から読む
2/3ページ目

 彼が2年生のとき、夏の大会で初めて公式戦のスタメンに名を連ねた。そのとき進次郎氏は、慎重に球を見極めて4フォアボールを選んだというのだ。 

「進次郎は監督から『よく我慢してチームプレーをした』と誉められていました。高校生はたいてい打って目だってやろうと思うもの。彼は真逆で、堅実で地道なタイプだったので周囲もビックリしました」(前出・元同級生) 

 野球部では一番バッターでセカンドを守った進次郎氏は3年生で副キャプテンを務めた。彼を擁する関東学院六浦高校は激戦区といわれる神奈川で、1999年の春の大会でベスト8、夏の大会でベスト16という、同校にとっては「10年に1回あるかないか」(野球部OB)の好成績をおさめたという。 

ADVERTISEMENT

 当時の野球部の集合写真を見ると、精悍な表情の進次郎氏と、そして交際相手とされる女子マネージャーの姿も確認できる。さすが政界のプリンスが選んだ彼女だけあって芸能人顔負けの美形だ。 

私設秘書時代の交際相手は「バー経営者」

 アメリカ留学などを経験した後の07年、進次郎氏は小泉事務所私設秘書となる。このときに交際をしていたのが、当時、横須賀でバーを経営していた一歳年上のAさんだった。進次郎氏が初出馬したときには、Aさんが「進ちゃんの応援よろしくね」と知人達に挨拶をするなど、献身的に尽くしていた。 

「Aさんは『よくご飯を作ってあげているの』とか、『進ちゃんはいつもヘルメットを枕元に置いているの。地震が怖いんだって』などと話していました。告白したのは進次郎君からと聞きました。甘えられる姉さん彼女だったようです」(二人の知人) 

 強気な言動で知られる政治家・進次郎氏だが、プライベートでは別の表情を見せていたようだ。 

 知人の証言によると、進次郎氏は母親を知らずに育っているせいか年上好きの傾向があったという。このころから進次郎氏の “年上の甘えられる女性”という好みが垣間見えていた。

 Aさんに取材した記者が当時を振り返る。 

「Aさんは長い黒髪が印象的な美人タイプで、物腰の柔らかいかたでした。仕事終わりに、取材申込みのお声がけをした。取材については『何もお話しませんよ』とやんわりと断られたのですが、最後に彼女は『横須賀を楽しんで行ってくださいね』と気遣い溢れる言葉をかけてくれたのです」 

 取材対応まで大人だったAさん。まさに後の結婚相手を彷彿させる「お・も・て・な・し」精神に溢れる女性だったようだ。 

 しかし進次郎氏が政界に進出後、二人の関係は途切れてしまったという。 

その後、若くして自民党農林部会長に抜擢された進次郎氏 ©文藝春秋