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【東京がんストーリー】妻の“がん”を「千載一遇のチャンス」と捉えたライター夫婦

2019/09/10
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「死が身近なものになったのは間違いないよね」

——がんを宣告されてから、平田さんは家事・育児・仕事・病院通いと、ハードな試練がいきなりのしかかってきたよね。その時はどうやって精神を保ったの?

「最初は悲観してたけど、いない間に本気で家事と育児をしたことが変な自信になった。見えないエプロンというか、心のエプロンができた感じ。本当に忙しいから、子どもを寝かしつけた後にパソコンに向かって原稿を書いててもいつの間にか寝てて、ワードに『ZZZZZZZZZZ』って打ってあったりさ。

 あと願掛けじゃないけど、『マンションの自動ドアが閉まる前にすり抜けられたら手術は大丈夫』とか、『この白線を一回もはみ出さずに歩ききれたら嫁は安泰』とか、よくやってた。50のおっさんになっても、嫁が“がん”になっても、こういう子どもじみたことはするんだなって思った」

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——私のこと、死ぬかも知れないと思った?

「死が身近なものになったのは間違いないよね。それまでのウチってなんもない平凡な家庭だったから、大好きなテレ東の番組『家、ついて行ってイイですか?』には出られないと思ってた。でも今ならネタが豊富だから、ディレクターに進んで捕まりたいね」

手術前に夫婦で記念撮影。この後、初めての手術への恐怖に落涙するも、麻酔で3分ほどしか記憶なし。

——私が“がん”になったことで、平田さんに心のエプロンができて、『家、ついて行ってイイですか?』に出られそうなネタができた。それ以外に変わったことってある?

 

「それまで『にんげんだもの』系のポエムに“うぇっ”てなる方だったんだけど、ラーメン屋にある『この一杯、この笑顔』みたいなよくわかんない標語でも泣けるようになった。メンタルが弱ってたんだろうね。

 聴くものも変わって、それまでAC/DCとかブラック・サバスみたいなハードロックを大音量で聞いていたのに、ふと気づくと虎舞竜の『ロード』を再生してた。『何でもないような事が、幸せだったと思う』がこんなに沁みたことはなかったね」